何でもやる人

  

 写真は、シチリアの、いや、イタリアきってのリゾート地タオルミーナから、山というのか、丘をのぼったところにあるカステルモーラの町からの眺め。今では廃墟となってしまったお城からのパノラマは素晴らしかったけれど、カステルモーラの町は、寂れて、死んだように活気がなくて、いたたまれない気持ちになってしまい、さっさと帰ってきてしまった。そんなわけで、旅のあと、わが家の「行かなければよかったイタリアの街」に必ずランクインすることとなったカステルモーラ。写真の広場だけは、なんかいいな、と思ったけれど、どこかお店に入っても、店の人に無理やりモノを売りつけられそうになったり、買わないとあからさまにイヤな顔をされたり。生きることを投げ出してしまったかのような、人々の絶望感。ああ、これもこの国の現実なのだ、と思った。
 イタリア人が、イタリアの歌が、底抜けに陽気で明るいなんて、誰が言った?イタリアの人はどうか知らんが、イタリアの歌なんて、めちゃめちゃ哀しいぞ、と思うときがある。原因は何なのか。それはたぶん、カステルモーラに行ったときに感じたあの匂い。あの国の、どうしようもない貧しさだ。

 夫がカンツォーネのコンサートをやるので、そのチラシを作った。デザインの相談をしていた方がとてもお忙しそうなので気の毒になり、お断りしてしまい、はて、ではどうしたら?と思案した。が、どうにかしなくてはならないので、イチがバチか、自分で作ることにした。意外と30分くらいで大体のことは出来上がった。あとの手直しは、プロの方にお任せする。
 カンツォーネといえば、絵葉書でもおなじみのナポリの景色・・・松の木が一本植わった高台から、ナポリ湾と海に突き出いた古いお城とヴェズーヴィオを見渡す図・・・なのだけれど、最近ナポリに行ったのは冬で、カンツォーネをイメージできる写真がなかったし、やっぱりベタだな、と思った。銭湯のカベに、富士山の絵が描いてあるようなものだ。
 イタリアの海や空や太陽をいっぱい感じる写真、写真・・・といろいろと探し回って行き当たったのが、カステルモーラからの景色だった。ここで写真が採用されたので、今後カステルモーラは「行ってよかった街」に昇格する。
「しかしあんたは、何でもやるねえ。」と夫が言う。何でもやるよー、お裁縫と絵を描くこと以外はね。(←とっても苦手よ。)
褒められたのかと思って、いい気になっていたら、「何でも出来る人は、結局、何も出来ない人でもあるんだよ。」と。
 ほんまに、しばいたろか!