あの日から

 震災から一年が経ちました。

 私は、自分も家族も幸い震災の被害に遭わなかったのに、ボランティアなどの活動をしたわけでもないし、要するに、何もできなかったし、しなかった人でした。昨日はテレビで、特別番組なんかが組まれ、あの日の映像がまたたくさん流れていました。それを観ていたら、ますます自分なんかに何も言うことなどできないな、とあらためて思ったのですけど。

 でもこんな私のような人でも、あの日から自分の中で変わったことって、みんなそれぞれにあると思う。私の場合は、これまであってあたり前に思えてたこととか、絶対みたいなことってないんだな、と思うようになった。夜、お風呂でぼーっと湯船につかりながら、「私、今日も生きてたな・・・」とか、思うようになったのもこの一年のこと。「生きてた」っていうのは、何かに懸命になって生きてたわけでなくて、ただ生きてた、って意味なのが情けないけど。

 あと、モノへの執着みたいなのが薄くなった。「これがないと生きていけない。」っていうモノって、じつはそんなにないんじゃないかな?と思うようになった。
 津波に何もかも持って行かれた人たち。思い出のかけらでもいいから、と、がれきの中から、何かを必死で探しだそうとしている被災者の姿を見て、私たちが断捨離と称しては、ばかばかとモノを捨て続けたあの日々は、果たして正しかったか?ひたすらな消費社会みたいなものを突き進んだ日は、何だったのか?そう思わずにはいられなかった。今、自分の周りにあるモノたちは、そのモノの命の最後まで、大事に使いたいと思うようになった。

 あと、くーーっ・・・!としんどかったり、「もうイヤ!」となったときに、生きたくても生きられなかった人のことを思ったり、その家族の苦しみを想像したりして、甘ったれた自分を叱るようにもなった。

 ま、自分のことを振り返るばかりで、結局、被災地の人に対しては何もできていないのだけれど、せめてこの震災のことを、ずっと忘れずにいたいと思う。