奇跡の乗り継ぎ旅

 日が長くなったせいか、少し春の気配を感じ始めた今日この頃。玄関にお雛様も飾った。まだまだこの先も寒い日がつづくのだろうけれども。「今年は本当に寒いねえ。」と、家にこもっているせいで久しぶりに顔を見たご近所さんと声をかけあう。今年の冬が本当に寒い冬なのだろうか?あるいはひょっとしたら私たち、こんなにも寒さが体にこたえる年になったということではないだろうか?と議論に。どっちだ?

 さて、昨年のピエモンテの秋旅。オルタをあとにして、次に目指したのはワインで有名なバローロ

 自分が旅慣れているとはぜんぜん思ってないけれど、しかし最近の旅行ではちょっとしたハードルというか、チャレンジみたいなことを自分に課さないと、なんかつまらないと思うようになってしまった。春のトスカーナでは、公共交通機関を使ってはとても不便ですよ、というバーニョ・ヴィニョーニにあえてバスで行ってみたり。(ブログには書いてないけれど、このときの乗り継ぎもひやひやものだった。宿に着いて、宿の人から「車はどこに停めたの?」と訊かれ、「バスで来た。」と答えたら、「えーっ!?バスっ?!バスで来た人なんて初めて!」と言われて、逆にびっくりした。)そして昨秋の旅のなかに私がほどこしたチャレンジが、この日のオルタ〜バローロ間の移動だ。やはりタクシーを使わずに、公共交通機関である電車とバスのみを乗り継いで到着したい。
    
    

 じつはアルバまでの電車での行き方は、不便ながらも何通りもの方法が考えられ、なのでどの道程というか、どういう乗り継ぎで向かうかという選択にもとても頭を悩ませた。朝の出発が早すぎないようにとか、乗り継ぎ時間や到着したい時間やら、何より本数の少ないアルバからのバスの時間を考慮しつつ、私が選んだのが以下の移動方法だった。

 オルタ 9:00発 → ノヴァーラ 9:40着
 ノヴァーラ 9:59発 → トリノ・ポルタ・ヌオーヴァ 11:10着
 トリノ・ポルタ・ヌオーヴァ発 11:25 → カヴァッレル・マッジョーレ 11:56着
 カヴァッレル・マッジョーレ 12:14発 → アルバ 12:52着
 
 上のアルバまではすべて電車の移動で、アルバからバローロはバス便となり、

 アルバ 13:40発 → バローロ 13:52着

 以上が私の計画だったのだが、イタリアの電車、バスを使って果たして?

 哀しいかな、問題なくスイスイと行けたのは、最初のオルタからノヴァーラへの電車のみであった。ノヴァーラに到着すると、私たちが乗る9:40発の電車が5分遅れの表示。私たちの乗る予定のレジョナーレの電車の前に、ノヴァーラに到着し発車するはずのトリノ行きの特急が10分遅れと表示されていたため、まずその特急を通過させないことには私たちの電車は出ないだろうと予想すると、ノヴァーラでの遅れは10分以上になるとみた。トリノでの乗り継ぎ時間が15分しかないため、ここで10分以上も遅れて出発するとなると、トリノからのカヴァッレル・マッジョーレへの電車に乗れない可能性が出てきた。このカヴァッレル・マッジョーレへの電車に乗り継ぎできなかった時点で、最後の行程のアルバからのバスにも間に合わないことになる。またこのバスは、バローロへ向かうこの日の最終便(だったと思う。あっても夕方とか、とにかく日中はこの便のみ、みたいな感じだった。)であるため、公共交通機関を使っての移動を目標にした私のチャレンジは失敗となるのだ。

 結局、ノヴァーラからの電車は10分遅れで出発。どうにかトリノに着くまでにこの遅れを取り戻してほしいという私の願いもむなしく、トリノ・ポルタ・スーザ駅から終点のトリノ・ポルタ・ヌオーヴァ駅まではノロノロ運転。で、トリノ・ポルタ・ヌオーヴァ駅到着は次の電車の発車時間と同じ11:25!

 電車から一番に飛び降り、荷物のカートを引っ張りながら猛ダッシュ!走りながら駅のモニターで、次に乗るクーネオ行が4番線から発車することを確認し(と同時に、走りながらチラ見したモニターで、自分がこれから乗る電車がクーネオ行だったことを初めて知る。なるほど、南に下るのだからクーネオ方向だわ、たしかクーネオといえば栗とかチョコとか、甘いものが有名だったか?マロングラッセか?などという考えまでも浮かびつつ。)、後ろから走ってきているであろう夫に「4番線!」と大声で叫んでさらに走る走る!!!目指す電車がまだ発車していないことを祈りながら!

 ところが私は勢いがつきすぎたのか、そもそもがうっかりしているためか、目指す4番線を通り越して、さらに奥の3番線に入って行きそうになり、夫に後ろから呼び止められて初めて自分の間違いに気がつき、急いで引き返す。その間に夫が先に4番線に走り、幸いまだそこに停車していた電車に飛び乗ったのだが、なんと閉まりかけていたドアに挟まれる格好となる。(幸いドアの閉まるスピードが、「ガシャン!」というのではなく、「ゆるゆる〜」というイタリア特有(?)の遅さであったため、挟まれていく最中の夫を見ていても痛くはないだろうなあ、というのがわかったので、私もそう慌てなくて済みました。)

 日本ならばこういうことが起こらないように、発車直前のドアが閉まる時間というのは、おそらく駅員の方たちにとっては安全点検に余念がない瞬間なのであろうが、ここはイタリア、夫が挟まったドアの向こうの車内では、すでに車掌さんたちが井戸端会議に花を咲かせていたようであった。しかし発車寸前の電車に突然飛び込もうとした東洋人がドアに挟まれてしまったので、これには大変驚き、3,4人の車掌さんや国鉄職員さんがドアを両側に手で開けようとしてくれた、すっごく怒りながら。こうして人力でこじ開けられたドアから、夫につづいて私、さらにその後ろからぞろぞろと、おそらく私たちと同じ遅れた電車に乗っていたのであろう乗り継ぎ客がみんな同じように息を切らして乗り込んできた。「なんだ、こんなに同じ電車に乗り継ぎたい人がいたんだ。」と、夫がドアに挟まれたことよりも、なぜかそんなことの方に驚いていた私。

 夫は幸いどこもケガなどなく、元気はつらつであったが、ドアを手で開けてくれた女車掌さんは、バタバタと乗り込んできた私たちに対し、とてもご立腹であった。夫のことも心配してくれるわけでなく、「こんなに急いで電車に飛び込んできて、あんたたち、切符はちゃんと検札機に通しているんだろうね?」と言って、いきなりの切符拝見となった。
 おい、ちょっと待て。あんたが気になるのはそこかっ!?トレニタリアさんよ、夫がドアに挟まれたのも、私たちが電車に飛び乗ることになったのも、そもそもはあんたたちの会社の電車が遅れたのが原因だろうがっ!と怒っている私を、ドアに挟まれて一番大変な目に遭ったはずの夫が「もういいじゃん、乗れたんだし。」となぜかニコニコ顔だったので、私もブンブンした鼻息をどうにか抑えることにした。(それに自分は間違えて3番線まで走って行った人なのだから、偉そうなことは言えません。)

 よかった、ともかく乗れた。この電車はほぼ定刻どおりの発車だし(少し遅れての発車なら、それはドアに挟まれた人のせいだし。)、次のカヴァッレル・マッジョーレでの乗り継ぎは時間があるし、これで無事着けるはずだよ、と席に腰をおろしてやっとほっとした気持ちになった。夫は、自分が身を挺したことによっって、たくさんの人がこの電車に乗り継ぐことができたんだ、ということを、何度も何度も口にして誇らしげであった。

 気持ちも呼吸も落ち着いたころ、さっきドアを怪力で開けてくれた「まずは切符拝見」の女車掌のおばさんが席までやって来て、また切符を見せなさいと言う。私は少々ムカムカした気持ちが盛り返してきたので、「さっきもう見せたよっ!」とつっけんどんに言ってもう一度切符を差し出した。ついさっきドアに挟まった大騒動があったのに、もう忘れたのだろうか?

 しばらくすると、おばさん車掌がまた私のところに来たので、一瞬、「また切符かいっ!?」と思ったが、今度は彼女は私に20ユーロ札を差出し、「ねえ、これ小銭に替えて。」と要求してくるのだった。はて?他にもたくさんお客さんいるのに、よりによって何で外国人である私たちにこんなこと言ってくるのだろう?頼みやすいのだろうか?いや、単にバカにされているのだろう。財布の中を確かめると、ちゃんと替えてあげられるだけの小銭が入っている。はあ・・・ちょっとトホホな気持ちで、ため息まじりに替えてあげる。

 その後しばらくはのんびりガイドブックを読んだり、旅日記をつけたり。まるで「世界の車窓から」の気分なのだった。

 そんなのんびり気分もつかの間、どこかの駅に停車中のことだった。キーーーー!というものすごい急ブレーキの音がして、隣の線路に入って来た貨物列車が急停車。何事かと思ったら、事態を目撃していた同じ車両の乗客の一人が説明してくれたのだけれど、私たちの乗っていた電車に乗ろうと、高校生くらいの女の子二人が、隣の線路を横切ったところにちょうど貨物列車が走って来ていて、急ブレーキをかけて危機一髪、貨物列車が停まったんだという。このことで車内も駅も騒然となる。

 そしてそのまま、私たちの電車はそのどこかの駅に停車して発車しなくなった。カヴァッレル・マッジョーレでの乗り継ぎ時間が、今度はこんな予期せぬ事態で怪しくなる。

 やっと発車となったが、さきほど線路を横切って騒ぎを起こした女の子たちは結局、乗りたかった私たちの電車にも乗せてもらえなかったようだった。何より、自分たちのしでかしたことで大変な騒ぎとなり、とてもバツが悪そうにしてホームに立っていた。あの後、罰金を払わされり、こっぴどく叱られたりしたのだろうか?やったことは悪いことかもしれないけれど、なんかしょんぼりした様子にちょっとかわいそうな気もしたりした。

 結局カヴァッレル・マッジョーレへの到着がずいぶん遅れ、本当は乗り継ぎ時間にトイレを済ませたかったけれどそれも叶わず、急いでアルバ行の電車に乗り込んだ。まあ予定の電車に間に合っただけ良しとしよう。

 アルバまでの電車ものろのろ運転。ローカル線ってどうしてこんなにゆっくりなのだろう?いや、日本人の私がせかせかしすぎているのかもしれない、と思う。こののんびりしたスローなテンポが、日本での日常にもとても大事なのではないか?

 ワインの産地に近づいたことを示すかのように、窓の外にもブドウ畑が多く目につくようになる。無事アルバ到着。

 アルバからはバスでバローロを目指す予定なのだが、このバスが果たして本当にあるのか心配。調べていたのは13:40発なのだけれど、なぜか時刻表を調べるとアルバ発のどの行先のバスも13:40発になっていてなんかヘン。

 駅を背にして、私は迷う事なく左方向に歩き始めた。じつは2年前にアルバに来たときも、バスでバローロへ行こうとして、バスターミナルまでは行ってみたのだ。だけど本数があまりに少なくて、バスを使って行くのは断念し、その時はタクシーを使った。今回はそのときのリベンジ(?)の意味もあってなのだった。

 バスターミナルに向かって歩き出した私に、夫が、「ねえ、どうしてバス停がこっちにあるってわかるの?」と訊いて来るので、「2年前にバスターミナルまでは行ったじゃん。あのときはバスがなくて乗れなかったけど。」と言うと、そんな出来事があったこと自体が、夫の記憶からすっぽりと抜け落ちているようなのであった。誰かと旅をしていておもしろいと思うのは、記憶や印象に残ったり残らなかったりする場面や出来事が、人によって全然違うということ。2年前、バスでのバローロ行を断念したことが、私にとっては今回あえてバスで行こうとリベンジまで考える出来事であったのに対し、夫にとってはそんなこと何でもなかったんだなあということ。おひとり様な旅にも憧れるけれど、人と一緒だと自分では気がつかない新鮮な発見みたいなのがある。

 バスターミナルが近づいてくると、学校帰りの中学生か高校生の集団に吸収されてしまった。ちょうどお昼すぎだ。

 バスターミナル到着。まずは悲願であったトイレを済ます。つづいて窓口でバローロ行のバスについて聞きたかったのに、すべての窓口が閉まっていた。誰もいない。ガーン、職員もお昼休みだ。

 仕方ないので、近くにいた高校生の女の子に聞いてみたが、バローロのバスのことはわからないと言う。はて、どうしよう?窓口が閉まっていて切符も買えない。

 うろうろしていたら、さっきの高校生女子が戻ってきて、バスターミナルにあるバールで聞いてみるといいと教えてくれた。イタリアの若者ってこういうところがとても親切だなあと思う。ありがとう。そうだ、バールで聞くということをなぜ思いつかなかったのだろう。

 バールに入って中をざっと見渡すと、何人かの制服を来た人が食事をしていた。あの制服、バス会社の人なのではないか?

 バス会社の職員か?と訊ね、そうだと言うので、バローロへ行くバスは13:40で良いか?と確認。答えはSi.出発はバスターミナルの向こうのほったて小屋の前から、切符はこのバールで買え、と。

 やった。どうやらこれで、私のこの旅のチャレンジは達成されそう。心のなかで小さなガッツポーズ。(そうです、チャレンジと言ったって、たかが自分の心のなかでささやかにガッツポーズ、それくらいのもんです。アルバ〜バローロ間は、バスがないとなったらタクシーを使えば行ける距離、という保険をかけてある私って、じつは小心者。)

 とりあえず出発までに少し時間があったので、オルタのホテルの朝食のときにこっそり作ってバッグにしのばせて来たパニーノで簡単にお昼。今日の乗り継ぎ計画をどうにか無事終える見当がついて、やっと心底落ち着いた気持ちになれる。飲み物にレモンソーダをバールで買い、2ユーロのお昼ごはん。

 バスが出るというほったて小屋のあるところに行ってみると、何台ものバスが停まっているので、近くのバスの運転手にバローロに行くバスがどれか聞いて乗り込んだ。

 驚いたのは、時刻表でどこの行先のバスも13:40発になっているのがおかしいなあと思っていたのだけれど、時刻表に書いてあるとおりで、そのほったて小屋の広場に停まっていたバス全部が、13:40になると一斉に発車したのだった。な、なるほど・・・全部同じ時間に出るから13:40発ばっかりだったんだ・・・と、すべてのバスが同じ時刻に一斉に発車するというありえない光景になぜか納得。(乗客のほとんどは学校帰りの学生さんで、授業が済んでみんな同じ時間にそれぞれの行先のバスで帰宅するということですね。で、学生さんが帰ったあとはバスはもうない、だってお客がいない、そんな感じでバスの時間が組まれているみたいでした。)

    
    

 こうしてバローロに14:00頃到着。朝から5時間あまりかけての移動でありました。
電車とバスだけを使って到着する、というのが私の目標でありましたが、こうして記憶をたどりながら書いていると、この日一番初めの、オルタのホテルからオルタ・ミアジーノ駅までの移動にタクシーを使っているではないの!ということに気がつきました。なんだ、どしょっぱつから失敗ではないの!と、何か月も経ってから味わうとても残念な敗北感です。