モンゴルの大草原から

    

 内モンゴル出身のテノール、Pさん。今週土曜日に、名古屋での初リサイタルをひかえている。今日の午後、夫のところへレッスンに来たので、私もしっかりと聴かせていただいた。
 彼の歌の魅力は、なんといってもその圧倒的な声、声、声。あふれ出るとか湧いて出るとか、いやいや、そんな表現では全然もの足りない。心地よい嵐のなかに立っているような、海の渦に巻かれているような、声の洪水だ。大体テノールという声種は、ここぞという聴きどころで、(声が)いつひっくりかえるか、いつ破綻をきたすのかという、スリリングな賭けを伴う演奏が常であって、聴く方は、いつの間にかそういうものだと思い込んでいるのだが、(逆にそのスリルを楽しんで聴いてみたり。)Pさんの歌にはそんな声への心配はまったく無用だ。この心配がなく、余裕をもって聴けるということの、なんと開放的で、心地よいことか。ここぞ、という音に身をまかせ、耳をゆだねればよいのである。
 今日最後に歌った曲。Pさんの、お父さんやお母さんへの思いや、遠く離れたふるさとモンゴルを想う気持ちを、ある方が日本語の詞にして、それにPさんが曲をつけたもの。これが泣けた。日本に来てからの道のりは言うまでもなく、おそらく故国に暮らしていたころも、決して平坦ではなかったであろう彼のこれまでの人生を、勝手に想いながら聴いていると、涙がとまらなかった。
 バスに乗って連れて行かれた、自分でもどこなんだかわからない工場で、飛行機の羽を作っているんだ、と話したPさん。またあるときは、臭くてたまらないにわとり小屋で、たまごを集める仕事を頑張っているといったPさん。「ぼくの国ではアレも食べるよ。」とさらり、ネコを指さして言ったPさん。ある日、もうモンゴルに帰りたいと言って泣いたPさん。なのに、いつの間にかたくましくなり、今はコンサートで全国をとびまわる。
 そして三日前、パパになったPさん。Pさんの未来に幸多かれ、と祈りつつ聴いた、早春の我が家でのコンサート。