調律

 昨日はピアノの調律をしていただいた。
 大変お恥ずかしい話だが、うちはこういう仕事をしていながら、定期的に調律をやっていない。(私たちのような人なら、半年に一回やるのが理想だろう。)理由は、ただ単に怠けているだけ。少々音が下がっていようが、別に命を取られるわけじゃなし、そんな感じでどんどん月日は過ぎていく。私のお粗末な耳では、一年以内なら、音の狂いは感じられない。これが一年を何ヶ月か過ぎる頃になると、弾いていても、レッスンしていても、気持ちが悪くなる。なんというか、音の響き方、つまりビブラートの振幅を波線で表すとしたら、その波がとても大きな波になって聴こえてくると、音はまったく協和せず、私にはそれが違和感となり、気分が悪くなる。調律してもらうと、この波は、ほぼ直線に近いような、細かな波にもどるのだ。文字で書くと、「びよ〜んよんよんよん」(この、よんよんよんのところが気持ち悪くなる原因。)から、「ピィィィーーーン」となる。
 あまりにも私たちが調律をさぼるので、調律師さんに、「ぜひうちには、遠慮なく調律の催促の電話をしてください。」と前回お願いした。なのでこの間、いつもの調律師さんが、かけにくいであろう催促の電話をしてくださったのに、私は「はて?調律師さんが何の用だろう?」と思ってしまった。何の用って、調律師さんなのだから、調律しか用はないだろう。前回からすでに一年も経ってたと思ってなかったし、一年くらいでは私の耳では、そう問題は感じないのである。やっぱり電話してもらってよかった。また耐え難いほど、とんでもない狂い方をしてからお願いするところであった。
 あと、これはとても意地悪なことだと思っているが、歌のレッスンに来ている人の声を聴いて、あるいはその人の歌を聴いて、あー、そろそろ調律せないかんなあ、と思うこともよくある。つまり、この人にはこの音はムリでしょ、というアクート(高音)を、その人がラクに出せたりすると、歌っている本人は自分が進歩したのだと思って、喜んでいるかもしれないが、じつはピアノの音が下がっているからラクラク出せてしまっている、という、じつに悲しいお話。こんな意地悪なバロメーターも、私は持っているのだ。(ここだけの話。)
 でも、だから、調律のあとの練習がしんどいことは私にとっても同じ。昨日までラクラクだった音でも、調律後しばらくは、キツく感じるのはいつものこと。ピアノの弦の緩みと同じく、私の気持ちも緩んでいるのだ。自分にカツを入れるつもりで、ピアノの前で声を出す。
 しかしやはり調律したピアノは、気分がいいもの。音の響きが正常になると、響いている空間の、部屋の空気まで浄化されたように感じる。音を調和させ、楽器だけでなく、私の姿勢まで律してくれるから、調律と呼ぶのではないだろうか。
 そして今度こそ、一年以内に調律をしてもらうぞ、と調律後は、毎回無駄に誓う。どうぞみなさんも、調律は定期的におこなってくださいね。って、私に言われたくない。