Nさんのこと

 朝、ブログにいただいたコメントの返事に、ミラノの人たちのことを書いていて思い出した。大事な人がいた。Nさん(女性)だ。
 Nさんとは、語学学校が同じで仲良くなった。年は、たしか私より、ひとつかふたつ上だったと思う。ミラノには音楽だったり美術だったり、何かしらやりたい目的があってきている日本人がほとんどだが、Nさんはとくに何もしていなかった。ただ、人生を謳歌するために、イタリアにやってきていた。しかしよくありがちな、「このままOLつづけてても、なんか私の人生ってそれだけなのかなー、とか思ってー。」などという、甘っちょろいタイプではない。もっとすんごいドラマが、Nさんにはあった。
 ここからの内容は、Nさんから聞いた話で、私の記憶もうろ覚えでかなりあいまいなので、すみません。Nさんは大学時代、たしか友人と、生まれて初めての海外旅行に、あるツアーに参加して出かけたそうである。その行き先だったのか、経由のために立ち寄ったんだったか、ともかくこれも不確かだが、中近東のどこかの国で、内戦だったか内乱だったか、何かの騒ぎが起こったそうである。そのとき、ちょうどその国に居合わせた、日本人観光客何人かが、どういう事情だったのか、人質に取られるという、恐ろしい事件が起きたそうだ。つまりNさんの参加していたツアーの客が人質に取られ、そのなかの一人が、Nさんだった。
 たしか最初は、ホテルのようなところに何日も監禁されていた、と言っていた。毎日、いや、日に何度かだったか、日本の大使館か領事館のようなところからなのか、日本の政府がよこした人間なのか、日本人がやってきては、人質となっているNさんたちに、理由は告げず、「とにかくこのまま、もうしばらくここで待ってください。」を連発するのみだったという。じつは自分たちが人質となっていることも、彼らがパニックを起こさないように、隠されていたらしいのだが、そんなことは何日か経つうちに、自分たちにもうすうすわかり始めたのだという。
 自分たちの状況に気がついてしまってからは、あと何時間後、果たして自分はまだ生きているだろうか、殺されているのではないだろうか、という、それはそれはものすごい恐怖で、気が狂いそうな日々を送ったそうだ。
 この話を私に話しながら、Nさんは部屋に貼ってあった一枚の写真を見せてくれた。場所は外なのだが、車か何かの物陰で、うすら笑いというのか、ひきつったような笑みのNさんが写っていた。このとき、ずっと監禁されていたホテルから、別の場所に移されるためにバスに乗せられ、どこかへ連れて行かれた、そのちょっとした隙に、友人に撮ってもらった写真だと言った。「このときが一番怖かったとき。」と、笑いながら私に写真を差し出した。バスから降ろされたので、この直後に銃撃されるのではないか、と思っていたのだそうだ。「30分後には、自分はもうこの世にいないかもしれない、と本気で思っていた。」
 たしかその後突然に開放され、もう二度と、海外旅行になんか行くものか、と誓ったNさんが就いた職業が、ツアーコンダクターだった。よってこの後の何年間かで、Nさんの渡航暦は80回をゆうに超えたという。
 しかしそのときのあまりにも恐ろしかった経験は忘れられるはずもなく、Nさんは、とにかく明日死んでも後悔のない生き方をしたい、と強く思うようになった。そしてそんな生き方が出来る場所はどこか、と考えたとき、世界中をとびまわったNさんの出した答えは、イタリアしかない、というものだった。
 ミラノでのNさんの生活は、見事なものだった。ミラノの、今では超人気エリアとなったナヴィーリオと呼ばれる運河の近くに、小さいアパートを借りていて、よく私も遊びに行った。彼女の生活は、毎日、毎晩がパーティーのようだった。飲んだり、騒いだり、友達を呼んだり、映画を観たり、旅をしたり。ミラノでも生活のために、バイトやガイドさんのような仕事をしていたが、「お金が無くなったから。」と言って、突然、2、3ヶ月日本に帰国することもよくあった。日本で仕事をして稼いできては、また前のようにイタリアでの生活のつづきを謳歌していた。そして、だれにでも、とても優しかった。まだミラノに着いてほんの数日、という知り合ったばかりの私を、ミラノのドゥオーモの上まで連れてのぼってくれた。ツアーコンダクター魂がそうさせるのか、いや、彼女の人柄なのだろう、ドゥオーモの上から、いろんな方向に向かっては、街の案内をしてくれて、私もおのぼりさんよろしく、その説明をフンフンと聞いていた。
 日本に私が帰ってきて、しばらくは連絡を取り合っていたものの、私がNさんのアドレスをなくしちゃったせいで、いつの間にか、彼女とは音信不通となってしまった。今、まだイタリアのどこかにいるだろうか。それとももう全然べつの国の、私の知らない街で暮らしているだろうか。でもきっとどこかで、彼女は元気で今日も精一杯、楽しんで生きている。ひょっとしたらもう二度と会えないかもしれないけれど、それはそれ。今でもあの頃の彼女の生き方を思い出すと、いつも私は勇気づけられる。