訃報を聞いて

 お昼前に、ある方のお父様が亡くなられたという訃報を聞く。私は直接には面識がない方なので、悲しいという感情はないのだけれども、なんかいろいろと考えてしまう。遠いところなので、お葬式には行けないから、弔電やお花の手配や、電話連絡を夫に頼まれ、すこしバタバタする。
 夫の知り合い宅に電話で知らせようと思うが、電話番号がわからなかった。今年の年賀状の束を出してきて、その中から探すことにする。一枚ずつ目をとおしながら、不謹慎にも私は脱線し、年賀状をくれた人、ひとりひとりのことを思い返したりする。ああ、ここの子も大きくなったなあ、とか、この人、こないだ結婚しましたハガキが来てたなあ、とか。そしてそのみんなに返事を書きたくなってしまう。いかんいかん、今は年賀状を見て、ニマニマしているときではない。うし年の年賀状の中に、探している人からのがなかった。そういえば、その人からは、喪中葉書をいただいていたような気も・・・なので今度はネズミ年の年賀状の束を出してくる。また一枚一枚読み返して脱線。しかし今度こそ見つかった。
 電話をかけて用件を伝え、ところでお元気ですか?といった話に移る。そこのお宅では、ずい分ご無沙汰しているうちに、お孫さんがひとり増えていた。そうだったんですかー、それはおめでとうございますー、と私は言ってしまう。とても良くない知らせで電話したはずなのに、おめでとうございますー、と明るい調子で言ったりして、やっぱり自分は不謹慎な人間だと思う。
 いつだったか、弟が、「ねえちゃん、人の生き死にはのー、潮の満ち引きと関係しとんで。」と教えてくれた。つまり潮が満ちる時間に人は生まれ、潮が引く時間に息を引き取る場合が多い、ということらしい。ま、彼もきっと誰かからの受け売りなのだろうが。突然そんなことを言われて、何のこっちゃ?と思ったが、次の瞬間、ああ、そういうことってあるかもな、と思う。弟は私が信じていないと思ったのか、テーブルのうえにある新聞を持ってきて説明し始めた。新聞に載っている、おくやみの欄の、○○さん○時○分死去、と書かれている亡くなった時間と、やはり新聞に書かれた、干潮の時間を照らし合わせ、「ほら、だいたいおうとるやろ。」と言って見せてくれた。たしかに、だいたいおうとる。人間は自然の一部なので、月の満ち欠けや、潮の満ち引きといった自然の現象が作り出すリズムみたいなものに、知らず知らずのうちに影響を受けている、というようなことを言っていた。
それを聞いて私は、潮が引いていくのといっしょに、この世からいなくなるって、とても正しい死に方だと思ったのだった。
 というようなことまで思い出してしまった、雨の日の午後。