ポーちゃんとリトル・チャイナへ

    

 昨日は夕方レッスンを終えたころに、ポーちゃんが先生とやってきた。ポーちゃんのモンゴル時代の先生が、女の先生だったのでびっくりした。私も夫も、男の先生とばかり思っていた。先生はもちろん日本語はわからない。英語も全然わからないそうだ。ポーちゃんの通訳なしではまったく意思の疎通ができないので、着いて早々、うちのレッスン室で、ポーちゃんと夫が一曲ずつカンツォーネを歌う。先生は、ポーちゃんがモンゴルを出て以来、初めてポーちゃんの歌を聴いたそうだ。言葉はわからなくても、音楽があれば、ぐーんと距離がちかくなる。
 そのあと、うちのちかくの中華のお店にポーちゃんが連れて行ってくれた。すんげー中国ムード満点っていうか、リトル・チャイナだった。店の人もみんな中国人で、メニューから店内の雰囲気から、料理から、すべてが中国だった。まさか自分の家のちかくに、こんな異国があったなんて。
つねにポーちゃんの通訳を介しながら、いろいろ話した。先生は一見、とても厳しそうな方だった。すごくおしゃべりな人ではないので、私や夫が脈絡なく、次から次へと話題を出していくうちに、なんとなく場もやわらかくなっていく。
 ポーちゃんの、日本に来て最初のころの苦労したことに話がおよぶと、また私は泣いてしまう。それにつられて今度はポーちゃんが泣く。
 先生は泣かないのだ。わりとずっと表情を変えないのだ。共産圏の国の厳しさみたなのを、私はすごく感じていた。私のようにのらりくらり生きてきた人間は、人が苦労した話に泣いてしまったりするが、自由などまったくなかった昔の中国に、異民族として生きてきた先生にとっては、そんなこと苦労でもなんでもないことなのかもしれない。
 音楽と、人の気持ちというか心って、国がちがっても同じだなあ。言葉はわからなくてもちゃんと伝わる。ダメな人間はよその国の人が見てもやっぱりダメで、ダメな音楽は、やっぱりダメなものとして伝わると思うので、マジメにやっていこうと、昨日、あらためて思う。