郷に入れば、なのですが。

      

 アオスタからトリノに戻る電車の中の出来事です。乗客は非常に少なくて、同じ車両にもうひとり、50歳くらいの男性が、私たちの2,3列前の席に座っているだけでした。この日の私たちは、アオスタからフランス国境に近い町まで出かけて、その帰りだったので、私もぐっとくつろぎたい気分になっていました。他に乗ってるお客さんも少ないし、靴を脱いで、前の座席に足、のばしちゃえ!
 ほどなく、前方から車掌さんが入ってきました。切符拝見か、と思いきや、もう一人の乗客の男性に、物凄いけんまくで怒鳴り始めました。
「人前で靴を脱いで足をのばすとは何事ぞ!そんなはしたない行為をする奴は、この国では罰金刑になるのを知らんのか!?足をのばしたいなら、靴をはいたまま、座席にのせろ!!あとでもう一回ここを見回りに来るからな!まだそんな格好をしておったら、お前、そのときは必ず、必ず、罰金食らうぞ!わかったかー!!」
 この男性も、靴を脱いで、同じスタイルでリラックス中だったようです。叱られた男性のほうも、納得できないのか、むっとしてました。その怒声を聞きながら、そーっと、そーっと、前の座席から足を降ろし、靴をはく東洋人約2名。
念のため、車掌さんが怒っているのは、足を投げ出していることに対してではなくて、その投げ出した足に、靴をはいていない、ということにです。
 このシチュエーション、私はじつは二度目でした。昔、イタリアに住むようになってまもなくのころ、電車のなかで同じようにくつろいでいて、そのときは私が車掌に叱られました。靴をはいたまま、座席に足をのばせ、と言われたのを、自分の語学力のなさゆえの、聞き間違いではないかと思いました。でも、その後イタリアに長くいるようになると、この国では靴がいかに重要なパーツであるか、人前で靴を脱ぐというのが、ふしだらな行為のように受け止められるのだということも、少しずつわかりました。(ということは、いけないこととわかっていたにもかかわらず、またやってしまった私。)このとき、車掌さんに叱られていた男性も、外国人のようでした。
 郷に入れば郷に従え、と申します。あわてて靴をはいたまま、足を座席にのせてみますが、ぜんぜん気持ちよくありません。汚しちゃうんじゃないかな、と心配になったり、つま先の辺が、緊張しているような気さえします。
 「靴を脱ぐ」というのは、私たち日本人にとって、動作以上の意味をもつ行為ではないかと思います。礼儀でもあるし、精神性のある行為。同じように、人前で靴を脱がないというのが、イタリア人には大切なことなのだということもよくわかりました。
が、しかし。いくらそこがイタリアの地であろうとも。平気で土足のまま、足をのっけたりは、やっぱりできないし、そんな日本人にはなりたくないな。かといって、罰金はいやだし。だから電車のなかでは、くつろげない。