おばちゃんとの出会い

 南イタリアはプーリアの州都バーリから、私鉄のオンボロ電車に揺られていた。トゥルッリというとんがり屋根の石でできた家々で有名な、アルベロベッロの町をめざして。2005年3月の終わり、イタリアではクリスマスの次に大切な行事である復活祭の前日で、だからだったのか、こんなローカルな電車には乗客もまばらだった。
 同じ車両に、現地に暮らしているとおぼしき、アジア人のおばあさんがひとり、座っている。おしゃれとか、飾り気とかいうものとは無縁、と言っていいような風貌に、まず度肝を抜かれてしまった。この人の人生って、どうだったのだろう?ずっと昔、祖国を出てイタリアに向かった理由は何だったのだろう?その後長く暮らした、この南イタリアの貧しい土地での生活はどうだったのか、家族は何人いるのか、今の暮らしは彼女にとって幸せなのか・・・車窓を眺めながら、ときおりおばあさんのほうに視線を送って、私はそんなことに勝手に思いをめぐらせていたのだった。
 ただでさえ少なかった電車の客は、停まる駅ごとに一人降り、二人降り、気がつけば、私たち夫婦とおばあさんの3人だけが残っていた。すると突然、「日本の方ですか?」と声がかかって驚いた。声の主は、もちろんただ一人の乗客のおばあさん。うわ、この人、日本人なんだ。思ってもみなかった。 
 私がそのとき手にしていた南イタリアの本を見て、彼女が言った。「私もここに来る前、その本、読んできましたよ。私、うちが本屋をやっててね、本はたくさんあるから、好きなだけ読めるの。その本読んでるから日本の人や、と思うたわ。」
 現地に住む人などではなかった。ずーっと昔、祖国を出てきたわけではなかった。
「3週間前、関空を出てからずっとひとりで旅をしているけれど、日本人に会ったのはあなたたちが初めてよ。私、日本人が行くようなところ、行かないから。なのにあなたたち、どうしたん、こんなところへ来て。ひょっとして、何かワケアリか?」
全然、何もないよおばちゃん。私たちただの夫婦よ。それにアルベロベッロなんて、行く人いっぱいいるからそう驚くことでもないと思うけれど、やっぱり自力でこんなオンボロ電車に揺られていく日本人はそんなにはおらんのかもしれんなあ。
 アルベロベッロに着くまでに、いろんなことをしゃべって聞かせてくれたおばちゃん。去年はバルカン半島をひとりで縦断したの。私がこうやってひとりで旅することを、ダンナも息子たちもやめろやめろって反対するんやけどね。でも私はお姑さんを味方につけてるから、お姑さんが、行きたい言うんやから行かしてやったらええやないかって言うてくれて、こうして来れたんよ。ツアーでみんなで行く旅行なんか、あんな旅、私、したくないもん。あんたたちもそうでしょ?こんなところまで二人できてしまうような人たちなんやから、絶対そうや。
 おばちゃんは、しわくちゃの紙をかばんから何枚も取り出して、シッポを引っ張るとパタパタと羽の動くツルの折り方を、いくつも折りながら私に教えてくれた。「あんた、このツル折ってあげたら外人さん喜ぶよ。カンタンやし、折り方覚えて折ってあげーな。」その紙の一枚に、自分の名前と住所を書いて渡してくれた。
 復活祭の前日なんて、イタリア中がバカンス気分で出かける日だというのに、この日、おばちゃんは宿を取っていなかった。私たちが泊まる宿に一緒に行って、空いてる部屋があるかどうか訊いてみたいと言う。
 アルベロベッロに着いたら雨がぱらついていた。風も強くて、とても寒い春先の午後。通りがかりのお店の人なんかに道をたずねながらの、いつもどおりのいい加減な方法で、どうにか宿にたどり着いた。フロントの人に訊いてみたけれど、この日はやっぱり部屋は予約でいっぱい。おばちゃんは「でも大丈夫、ほかでも訊いてみるし、どうにかなるから。じゃ、また。さよなら。」と、ほんとに呆気なく去っていった。
 それっきり、になっちゃったし、何より、あんなワイルドな一人旅をやってのけるばあちゃんを、他には知らないので、日本に帰ってからも、その後も何度も旅をしながらも、あのおばちゃん、どうしてるだろう?というのが私たちの気がかりだったのだ。それに何より、あのあとおばちゃんはどこに泊まったのだろう?宿は見つかったのか、とても気になって気になって、何年も過ぎてしまった。