「きてや」のおばちゃん

         

 イタリアで知り合ったとき、おばちゃんは、私たちがキャリーのついた、コロコロ引っ張るかばんで旅行していたのがすごく印象に残っている、と何度も言うのだった。出会った時、おばちゃんが、コロコロのついたかばんは高くて、自分は買えないから、と言ったら、私が、私たちのこのコロコロは1000円だったんですよ、安いのもありますよ、と答えたそうなのだ。それを聞いて、1000円のかばんでヨーロッパまで来てしまうなんて、私たち夫婦は自分と同じ種類の旅人だと思って、すごく親近感を抱いたのだという。それをおばちゃんの口から初めて聞いて、私もとてもうれしくなった。
 おばちゃんは、顔が焼けていて、(たしか初めて会ったときもそんな印象だったが)じつは、マッキンレー登山を果たし、先々週日本に帰国したばかりだと言った。顔の色は、日焼けではなくて雪焼けだった。そのことがますますおばちゃんの印象にワイルドさを加えているのだった。
 午前中にお邪魔したときにもしばらくしゃべったのだけれど、おばちゃんちは居酒屋なのだから、また夜来て、今日はここでごはん食べることにするわ、と伝え、私たちはその気のない京都観光に出かけた。
 
 昼間は祇園をぶらついたり、八坂神社の前まで行ってみたり、先斗町の風情あるとおりを歩いてみたりしたが、みぞれが舞い始め、いかんせん寒すぎる。やっぱり私は雪女に間違いない。
 夕方ホテルに戻って少し休んでから、また「きてや」へ向かった。
おばちゃんとおしゃべりしながらのごはん。

           

 おばちゃんは、春になったらピースポートの船に乗って、世界半周の旅に出るそうだ。ほんとは世界一周の船なんだけど、そんなにお父さんを放っておいたら可哀想やから、60日で自分はアイルランド(だったかな?)のダブリン岬で船を降りて、そこから飛行機で帰ってくる。
 例の本屋さんは、店を閉めたのだと話してくれた。100年つづいたお店を閉めるのは、すごくつらかった、と言っていた。おばちゃんは偶然にも、私と同じ、作家の須賀敦子さんの大ファンだった。「あんたは自分の人生を生きながら、須賀敦子さんの人生も生きることになるのよ。だから本ってすばらしいの。人生が何倍にもなるから。」とおばちゃんは言った。
 若い頃に外国に行って旅することや、その国そのものにはまってしまい(←例えば私)、そのまま帰れなくなって、意味もなく外国に居続ける人や、居ること自体が目的になってしまっている人、あるいは、たとえ日本に帰ってきても、一番頑張るべきときに遊んでしまっていたため、仕事がみつからなくててぷらぷらしてる若者が大勢いるということを、世界中を旅するおばちゃんはよく知っていて、そういう人に出会うと、「働きなさーい!」と言うのだそうだ。自分みたいに年をとっても、旅行は出来るのだから、やっぱり若いときは働くべきだと。だけどおばちゃんがこういう旅を始めた37歳のとき、あのときを想うと、今、旅をしても、もう若いころのような感動は、年をとってからでは得られないのだと。だからやっぱり若いときに旅することを、否定もできないのだと、話していた。
 私はこれからも、働きながら、「ときどき旅人」でいたい。おばちゃんみたいな、渋いばあちゃんになるために。