お弁当の日

   
 基本的には、うちの夫はお昼を食べに帰ってくる、という恐ろしい習慣を持つ人なので、私はこう見えても一日3食、わりときっちり作っているのですが、たまに家に食べに帰る時間も、どこか外で食べる時間もない、という日があって、そういう時はお弁当を用意することになります。今日がそのお弁当の日で、そのことを告げられたときには、私は絶望の淵に立たされました。
 私、お弁当作るの、嫌い。(食べるのは好き。)弁当作りって、あれ、料理じゃないと思うんですけど。私には、ままごと、の感覚。
 朝、ただでさえ起きるのが超苦手なのに、起きぬけの、頭もまだ全然働いていないときに、一人でままごとしろっていわれてもなあ・・・といつも思っています。だから毎日お弁当作っている主婦の人は無条件に、すご〜く尊敬してしまいます。
 たまにしかお弁当を作る日は来ないので、幸いなのだけど、いっこうに上手にならないというか、要領が悪いことこのうえなく、もたもたするばっかりで、仕上がりもいつもイマイチ、いや、それ以下です。お弁当を特集した雑誌などだったら、「センスのない盛り付け例」とかに選ばれる自信、大ありです。
 今日も卵焼きをして、ウインナー(←賞味期限切れの)をフライパンで転がして、あとは昨日の残り物を詰めただけなのに、どっぷり疲れました。よく本にでてくる、びっくりするほど綺麗な、色とりどりの弁当なんて、いったいどうなってるんだろう?徹夜なんじゃないか?と思います。
 お弁当って、おそらく日本だけの文化ではないでしょうか?イタリア語には弁当にぴったりあてはまる単語自体がないと思いますし、他の国でも、日本ほど、弁当って売ってない気がしますけれど。
 イタリア人のお弁当は、たいていパニーノ。家に買っておいたパンを半分に切って、冷蔵庫にそのときあったハムやチーズ、サラミなんかをはさんで、ラップにくるんで終わり。ツナ缶とか、グリーンピースやコーンの缶詰を、缶のままとパンを持ってくる人もいたし、にんじんそのままかじる人も見ました。ちょこまかちょこまか、四角い箱の中に、朝から作ったままごと料理を詰めた弁当を持った人など見たことがなく、ああ、おおらかで良いな、と思いました。日本人がダイナミックに生きられないのって、弁当箱の中という、小さい世界にあまりにもこだわりすぎることも少しは関係しているんじゃないか、と思ったことも。
 おそらくこれからも、弁当作りが好きになることも、上手になることもない私。ああ、今度の弁当の日はいつ訪れる?と、恐れつつも、弁当を作ったおかげで手にした自由な時間は、やっぱりうれしい。