瀬戸を散策

      

 とても気に入って使っていた急須を、先日割ってしまいました。常滑焼の小ぶりなもので、使い勝手も、見た目も、これまでに使った急須では抜きんでていたので、すごくショックで、ああ、こんな哀しい想いをするなら、あのとき同じものを10個くらい買っておけばよかった、と、後悔あとを絶たず状態でした。
 で、常滑は遠いので、という理由から却下され、昨日、車で30分の瀬戸へ行くことになりました。陶器のことを、「せともの」と言いますが、「瀬戸のもの」ということで、せとものらしいです。

 
 
 久しぶりの瀬戸の町、昭和を感じます・・・っていうか、寂れています。
 川沿いに、陶器を売るお店が並び、なかなかのんびりした風情はあるし、おもしろいと思うのだけど、何だろう・・・日曜日で、私たちのように、瀬戸を散策しに来ましたよ、というふうな人たちの姿もけっこう見られるのに、そうやって出かけて来た人たちが、なんか楽しめてない感じ、これが何なのだろう、とずっと引っかかりながらの、急須を探す旅でした。

 結果としては、やはり常滑焼の、割れた急須を上回るほどのものは見つからず、でもとりあえず使うものが要るので(このとりあえず、でモノを買う、というの、絶対良くないとわかっているのに、またやってしまった。)、妥協の産物、みたいな急須を買いました。あまり後味のよくない買い物の例です。私が買ったあと、最初のほうに見たお店で見つけた急須を、夫が、「オレはあれを買うよ。」と言うので、まじで?と思いましたが、ほんとに買ってしまいました。一人ひとつずつ、ってこと?それが、昔、職員室とか事務所みたいなところに必ずあった、紺に白い水玉のデザインのもの。湯のみとかお茶碗も、たしか同じ柄でありましたよね?これを買ってしまったんです。「使いたいときは、使ってもいいよ。」と言われました。でも、お店の人に包んでもらっているとき、昔は、どうしようもない、と思えたあの柄が、とても斬新でモダンなデザインに見えて、今日の買い物は負けたな、と思いながら、じっと見つめていました。
     


 深川神社のすぐ前の、懐かしい感じのするケーキ屋さんでシュークリームをひとつ買って、公園で座って食べたり、瀬戸銀座と呼ばれる、まあ、○○銀座と名のつくところがどこでもそうなように、恐ろしく寂れた商店街をぶらついたり、車で30分とはいえ、これはもう、れっきとした旅でした。

 その銀座商店街の中でも、作家さんの作品を売るお店があったり、陶芸を体験できるコーナーがあったり、みんなそれなりにアイデアを出して、町を盛りたてようとしているのに、なぜかそれが功を奏していない感じ。まとまりがなくて、みんながバラバラに頑張っている感じがありました。誰か、まとめ役はいないの?もっと駐車場を整備したり、あの界隈全体を、陶器の町として楽しめるように工夫したら、ここ、いい観光地になるのにね、と話ました。私が町の企画課だったら、もうちょっとどうにかすると思う。そういう意味でも、常滑に軍配があがりますね。
 やっぱりもう一度、常滑へ買いに行くよ。