Il Vittoriale 2

     

 天才とナントカは紙一重、などと言うけれども、ダンヌンツィオにこそ、この表現がぴったりとあてはまるのではないか?(このVittoriale を見学してしまったあとの今の私のなかでは、正直なところ、ダンヌンツィオはあきらかに後者のほうに属してしまった感があるけれども・・・)

 20世紀のイタリアを代表する詩人、ガヌリエーレ・ダンヌンツィオ。音楽を勉強していた私にとって、長い間、ダンヌンツィオ=自分が接したことのある曲の詩を書いた人、という図式しか、恥ずかしながら持っていなかった。極端な愛国主義者であった詩人は、第一次世界大戦時代のイタリアで、イタリア統一だかなんだか知らないが、当時自由都市だったフィウーメに、兵を率いて行って武力占拠。で、勝手に独立宣言して勝手に統治。そこに自分の理想する国家を築こうとした。(ま、とにかくやりたい放題だったのである。)その手段を選ばない彼のやり方は、その後のムッソリーニによるファシスト独裁体制をうむことになったとも言われる・・・って、この人、めちゃめちゃ危険人物やん。

 夫は、ダンヌンツィオという人間にはまったく興味がないが、これまでにこのヴィットリアーレを訪れたことのあるイタリア人が、「とにかくあそこはすごかった。」と口をそろえて言うので、どうしても一度、ここを見てみたかったのだそうだ。(イタリア語に、日本語の「すごい」に相当する便利言葉はないと私は思っているのだけれど、いったいそのすごさを、どんな単語で形容したのだろうか?たぶん賞賛の意味でのすごい!じゃなくて、あきれた系、あるいはうんざり系、もしくは気持ち悪い・おぞましい系だったかもしれない。)
 ダンヌンツィオが、たしか晩年の17年を過ごしたというヴィットリアーレ。おそろしく広大な敷地のなかに、邸宅、手入れの行き届いた庭、戦争博物館(←ね、ヤバイでしょ。)、野外劇場などがあり、全部見てまわるには、半日くらい必要だとか。「ま、家だけ見れれば、いいよね。」と、私たちの観光はざっくりしているので、切符売り場のおばさんに、「家だけ、2枚。」と伝えると、おばさんは、「残念ですが、今日の午前の家の見学はもう一杯で締め切りました。午後2時に、もう一度きてください。」なんて言う。がーーん・・・

「どうにかなりませんか?」と食い下がっても、頑なに、首を横にふるのみ。「今日は、学校の遠足の生徒さんがたくさんきていて、もう一杯なのよ。」
こーんな大きな家に、あと二人、小さな東洋人が入れないわけがない。おばさんよ、どうにかせよ。と思っていたら、とつぜん夫が迫真の演技に入ったので驚いた。「ああ、シニョ〜ラ〜・・・僕たちは、この家が見たくて、遠くはるばる日本からやってきたというのに。午後2時になんて、そんなことしてたら、帰りの船に乗れなくなってしまうんです。ああ、今日しかここを見れる日はないのに・・・お願いです、どうにか、入れてもらえないでしょうか・・・シニョ〜ラ〜・・・」あまり目にしたことのない夫の様子に、私は言葉を失い、無言の艦隊のようにただそばに立ち尽くしていたが、ふとわれに返った。そうだ、どうにしてでも入れてもらわなくては!ここは最後の手段である、ソデの下(ちょっとチップを渡すと、びっくりするほどすんなり事が進むことが、ままあります。)を使ってでも・・・とひそかに覚悟をきめていた。
困ったわねえ、という顔をして、おばさんは、「ともかく中の係りの人に訊いてみましょう。」と言って、受話器を取った。
「あのねえ、じつはここに、絶望したニホンジンがふたり、いるのだけれども・・・」
 Due Giapponesi disperati 絶望したニホンジン・・・!予期しなかったオーバーな表現に、私たちはぷっと吹きそうになったが、このおばさんの言葉が効力を発揮したのか、私たちはかなり年とった生徒として(?)、遠足の列の最後尾に付け足してもらえることになった。おばさんには、思いつくかぎりの感謝の言葉を、めちゃくちゃに並べて、私にできる最大限の礼を述べた。
「いやあ、入れてもらえてよかったねえ。あんなところで何時間も待たされたらたまらんよねー。わたしゃ、もうソデの下、渡そうかと思いましたよ。」と言うと、「オレも。」と夫が言った。それから例の、「絶望したニホンジン」発言について多いに盛り上がり、旅が終わってからも、このフレーズが使いたいがためだけに、私たちは日常生活のなかのほんの些細なことで、いとも簡単にdisperare 絶望しまくるのだった。
     
     

 さて入り口を入っても、広すぎて、目指すダンヌンツィオの家がどこなのかよくわからない。遠足の生徒もたくさんいたが、きっと昔の私のように、ダンヌンツィオなんてどうでもいいのに・・・なんて思っている人が大多数なのではないだろうか?

   

 先に野外劇場を見に行くことにした。
古代ローマの円形劇場よろしく、すり鉢状になった客席が設けられて舞台を取り囲んだ、おなじみの形状。ただ、これが個人の敷地内にあるというのが、どうしても信じられない。

舞台のむこうに、ガルダ湖の景色がのぞめるようになっているところは、シチリアタオルミーナにある、Teatro Greco 古代ギリシャの劇場を彷彿とさせる。夏にはここで、オペラなんか催されるそうです。

 さて目的の家に向かう。黄色い壁の、大きな建物。しつこいですが、これ、個人宅です。詩人ってそんなに儲ける職業か?
    
    

 それにしてもここのセキュリティーはめちゃめちゃキビシかった。荷物はすべて荷物預けのロッカーに入れさされ、写真の撮影も禁止なので、カメラ持参はもちろんダメ。貴重品の入ったバッグもダメ。財布もぜーんぶ置いていけ、と言われるが、やなこった。カギはかけて、自分で持っていくようになってはいるが、係員よ、あんたたちだって合鍵くらい持っているだろうに・・・こういう場合、ぜったい人を信用しない、という術を、哀しいかな、私はイタリアで身につけた。
「私、財布とクレジットカードはこっそりポケットに入れてきた。」と言うと、「オレも。」と夫が言った。

    

 見学のツアーは、10分おきくらいに10人ずつしか入れてもらえない。このへんもすごくキビシイ。言われたとおり、遠足の子たちの後ろに並び、(って、写真を見るとぜんぜん並んでない。)、最後なので気長に待つ。すると、私たちの後からもどんどん人はやってきて、後ろに列ができているではないか。
私:「こういうところが、この国のよくわからんところだよねえ。」
夫・「ぜったいダメとか言いながら、必ずどこかに抜け道が用意されてあるんだよなあ。」
私たちのように、切符売り場のおばさんに、そこをなんとか、と言って切り抜けた人は多かった。なかには、ソデの下まで使っちゃった人もいたのかも。