Il Vittorilale 3

      
 
 お待たせしました、引っ張りすぎました、参りましょう、狂気の館ツアーへ!

 やっと順番がまわってきて、私たちを含めた10人が中に入ります。若くて頭の良さそうな女性のガイドさんが、一部屋ずつ(と言っても、見せてもらえる部屋は限られているのだけれど。)、説明をしてくれながら見てまわります。
 ここ、内部は写真撮影が禁止なんです。なのでわかりずらいと思いますが、パンフレットを使ってご紹介。建物の中は迷路のようにややこしくて、部屋の順番がどういう並びだったのか、ぜんぜん記憶が定かではないことと、イタリア語のガイドを聞きながらなので、私の言葉の理解力不足や、あるいは間違って理解してしまった箇所もあるかもしれないことを先に謝って、印象に残っている場所について書いてみたいと思います。

 上の写真は、パンフレットの表紙。ミケランジェロ風(?)の女の人の像。けっこう最初の方で見たと記憶しているけれど。ダンヌンツィオが思い描く、理想の女性像、といえばいいのかな?らしいのだけれど、その下半身が気に入らないから、腰から下に、ダンヌンツィオ自身が布を巻いた、とかいう話だった。

 入ってすぐの短い階段を上がって、最初に案内された、わりと狭い部屋は、この家を訪ねてきた人のなかで、その来訪を歓迎されないお客さんを通すための部屋・・・って、いきなり頭が???となるような説明。あるときダンヌンツィオを訪問した、かのムッソリーニは、この部屋に通されたあげく、そのまま2時間(!)ものあいだ、待ちぼうけを食らったのだそうですよ!

 いーっぱい本がある部屋をとおって、次は、たしか音楽の部屋だったと思う。グランドピアノが2台あって、あと、ビワみたいな、けっこう原始的な感じの弦楽器など、いろんな楽器が集められた暗ーい部屋。(この部屋に限らず、見せてもらったほとんどの部屋がすごく暗くて、狭くて、天井や壁一面を、布で覆っているせいか、どの部屋もすごく埃っぽくて息苦しい。部屋を暗くしているのは、ダンヌンツィオは片目を失明していて、視力が弱かったため、光が入らないようにして生活していたということですが、ほんとに気分が滅入る暗さでした。)
この音楽の部屋では、よくコンサートもやっていたらしい。若いころは、大女優と浮名を流したというダンヌンツィオだが、この家で、晩年を一緒に暮らしていた、言わば彼の最後のパートナーとなった女性は、ヴェネツィア人の若いピアニストだったとか。敷地内に野外劇場は作るし、若いころ、当時は自分よりもずっと知名度が高かった、作曲家のフランチェスコ・パオロ・トスティに、自分の書いた詩に曲をつけてもらおうと、ダンヌンツィオの方から頼みに行ったという話や、占領していたフィウーメでは、音楽を最高規範とする憲法(←??どういうことだろうね。)を定めていたというのだから、この人、音楽が好きだったことは確かみたいですね。




      

 つづいて、衣装部屋(上の写真)、とよばれていたけれど、着るものはなくて、いろんなコレクション(このコレクションのなかには、ミケランジェロの何か知らんとか、パルテノンの何か知らんとか、私にはわからん由緒正しいモノもあったようです。)が、ゴテゴテとならべられた部屋。とにかく、すっごくモノを多く持ちすぎた人。それも一見、どこがいいんだろう・・・と思ってしまうような、ちょっと悪趣味っぽいモノがたーくさん。それを大事そうに、こうじゃなきゃいけない風に並べているところは、私が、旅先でしょうもない土産物を買っては、家のあちこちに並べているのと変わらない気もするのだが・・・ダンヌンツィオよ、お前もか・・・。よーし、これからはダンヌンツィオのモノ持ちぶりを反面教師とし、むやみやたらにくだらない土産物や雑貨を買っては、家のなかをモノであふれさせることのないよう、しっかりと気を引き締めるぞ、と、私はムダに誓う。




     

 深い意味はないが、ばかばかしさで強く印象に残っているのは、Bagno blu 青いバスルーム。強烈な濃紺のバスタブやビデのまわり、そこいら辺じゅうをいっろんなもの、モノ、物が埋め尽くす・・・湿っけまっせ。

 あと、私が一番意味不明、と思った部屋は、ダンヌンツィオが、自分が死んだときに寝るために作ったといわれる部屋。部屋のなかにある段を2,3段上がって、少し高くなった奥の部分に、うやうやしく置かれたベッドが一台。本人の希望どおり、ダンヌンツィオはこの世を去った最初の夜、このベッドに寝かされたそうです。

 はあ、だんだん思い出しながら書くだけで気分が悪くなってきた。
つづいて、意味不明かつ気持ち悪かった部屋は、(主にアジアだったと思うけれど)世界中の、あらゆる宗教の神々の像を集めに集め(日本の大仏さんみたいなのとか、お観音さんみたいなのもあった。)、それらをピラミッド状に配して置いてある部屋。災いとか、不幸とか、病気とか、死とか、そういうものから自分の身を守りたかったから、らしいのだけれど、その一方で、どんな宗教もぜったいに信仰しようとしなかったのが、ダンヌンツィオだそうです・・・わからん・・・




      

 ここに書いた以外にもいくつか見た部屋はあったが、その後、二階に上がって、彼の仕事場へ。(写真、上)幸い、ここは少し日が入って息ができる。やれやれ。このオフィス(と言っていいのでしょうか?)の入り口が、とても低くなっている、その理由。ダンヌンツィオほどの天才が傑作を生み出す、いわば聖域と言ってもよい仕事場に入ろうとする者は、必ず一礼してからでないと、そこへ足を踏み入れてはならないのだって。だからみんな、必然的に、こうべを垂れて、入り口をくぐるようにして一礼しながら入ることになるよう、入り口を低く作らせた。←このあたり、私は最高に性格悪いと思うけどな。

 あと、やっぱり二階にあった小さな部屋。最晩年のダンヌンツィオは、毎日、何人もやってくる借金の取立てが激しく、もういちいち対応などしていられないような状況だったので、ずーっとこの小部屋でこもっていたのだとか。(居留守?)たーくさんのモノを買い集めてはいたが、詩人はどうやらツケでお買い物する人であったらしい。(踏み倒し?)




     


 最後の方に見たのが昼食室。(写真、上)ゴテゴテの悪趣味のインテリアのなかに置かれた大きなテーブルの上に、銀色のカメ(写真だと、金色に見えるけど。)がのっかっている。このカメ、ダンヌンツィオが飼っていたカメのレプリカ(?)で、食べすぎが原因で死んじゃったとか。昼食に招かれた客たちは、テーブルに着き、このカメの話を聞かされたあと、「Buon appetito. どうぞ、お召し上がりください。ただし、このカメみたいにならないよう、食べすぎにはくれぐれもご注意を。」などと、ダンヌンツィオから言葉をかけられて食事した、って、あんた、友達なくすぞ。

 見終わって、外に出たとき、どどどーーーっと押し寄せた、重たーい疲労感と、むなしさ・・・
 人生における成功って、なんだろう?幸せって、なんだろう?地位や名声や、ましてや富を、手に入れることなどではなくて。

 「どアホもここまでやったら、たいしたもんじゃ!」と、夫も疲労困憊はしていたが、かなり堪能できた様子。よほど衝撃が強かったのか、その後、夫は、併設のショップでここのDVDを買い、あとでヴィットリアーレを出たすぐ向かいにあるバールで、まったく同じDVDが2ユーロほど安く売られていることを知って、軽くパンチを食らっていた。



 ダンヌンツィオは、おそらく詩人などではなかった。彼のもとめた芸術的な発露は、文学の世界などではおさまりきれるものではなかったに違いない。そのことが、あの時代の、常軌を逸したとしか思えない行動に、彼を走らせたのではないか。

 晩年、詩人はこの湖の見える大きな家で静かに暮らしながら、正気の自分にかえって、人間らしさを取り戻すことが、一瞬でもあったのだろうか。
そんなとき、アドリア海からの荒々しい風が吹き付ける、(彼の生まれ故郷でもある)アブルッツォの緑の野を行く、自分は、ただの牧人になりたい、と思ったのかもしれない。