旅の朝食

    

 旅の愉しみにはいろいろあれど、旅行中、ひょっとしたら私が一番愉しみにしているのは朝食なのかも、と思うようになりました。旅の朝ごはんって、どうしてあんなに特別なのでしょう?って思うのは私だけでしょうか?

 ホテルの部屋でまだ寝ているとき、すごく朝早く、(と言っても、「すごく朝早い」の基準はあくまで私にとっての朝早い時間なので、6時過ぎとか、7時前とか、世間の奥様方からすれば、「そんなもん、全然早うないがね。」という時間なのかもしれないけれど。)ともかくその私にとっての朝早く、まだホテルの部屋のベッドのなかで眠りこくっている時間。たぶん部屋のドアの下の、ちょっとした隙間とかからなのでしょう、どうしようもなく甘〜いパンの香りが忍び込んできて、しあわせなことに、その香りは私の鼻先にまで漂ってきて。それで何となく意識だけは目覚めて、ブリオッシュのいいにおい・・・あ〜そうだった・・・イタリアに居るんだ・・・と、まだ半分以上は眠りのなかで思う瞬間。私が最高に旅の至福を感じるときなのです。

 これまでにとりわけ記憶にも、心にも残っている朝ごはんは・・・

 アッシジのペンシオーネに泊まったときの朝食。家族経営の、こじんまりとしたペンシオーネでした。庭がけっこう広くて、9月だったのでその庭に面したテラスで朝ごはんをいただきました。
   
ものすごく充実した朝食メニューだったのに、さらに宿の奥さんが、「ほら、今、もいできたばかりなの。」と、自分ちのどこかの木から取って来たばかりのみずみずしいイチジクを運んできてくれました。こういう出来事は、ものすごく鮮明に旅の記憶として残っています。
   

 あと忘れられないのが、モンタルチーノB&Bに滞在したときの朝ごはん。宿としては問題だらけのB&Bでした。大きなトスカーナの一軒屋の、一階部分を部屋にして貸している宿だったんだけど、常に二階で生活しているはずのオーナーっていうか大家さんが、なんと長期のヴァカンスに出かけて留守だったんです!お客の私たちが来ることを知っていてですよ!泊めてやるから、金だけはきちんと払って帰れよ!みたいな感じなのかな?こういう感覚、ヤマトナデシコには全然理解できないし、解りたくもありません!誰もいないので、サーヴィスは何もなし。たま〜に様子を見に来るお掃除の女の人(たぶん近所に住んでる主婦が、おこずかい稼ぎにやっているんでしょうけどね。)が、「ええと、朝ごはんは・・・私、いったい何を用意すればいい?」と訊いてくるので、「フツウのでいいよ。」と答えると、「ええと、フツウっていうのは、例えばどういうものを?」と訊くので、「カフェラッテとか、ビスケットとか、なんかそういうもん。」と言ったら、ちゃちゃーっと用意してくれた朝ごはん。
   
   

すぐそこにオリーヴの林が広がる、広大な庭に置かれたテーブルでいただいた、シンプルだけど忘れられない朝食でした。

 それにしても旅も回数を重ねていると、そのホテルの良し悪しっっていうのかな、やる気のあるなし、お客をもてなそうとする気持ちみたいなのって、朝食をいただけばはっきりわかるように思います。それは単純に星の数に比例しているわけではなくて、人の気持ち、ハートそのものを映し出してしまうもの、と思っています。