今日のそういえば

 昨日とは別の件で、そういえば。

 今日、デザイナーであり洋服作家のkokoroっちのブログにお邪魔したら、ずい分昔の、一緒に行った懐かしい旅での出来事が書かれてあって、そういえばそんなことあったなあ、と思い出した。

 1998年秋。時を同じくしてミラノに暮らしていて、仲良くなった私たちは、パリへ旅行に出かけた。その帰り、パリからは寝台列車に乗ったのだった。夜遅く、パリの北駅だったかな、から列車に乗って、翌朝にはミラノに無事到着する予定だった。途中、国境を越えるのでパスポートコントロールがあり(あの頃、まだEUになってなかったのか?)、各コンパートメントに警察(?)がまわってくるのだけど、そのときになって、同じコンパートメントの、kokoroっちの上のベッドに居た一人の青年が、とつぜん慌てだした。パスポートをもっていなかったのだ。「ほんの少しの間だから、ここに隠れさせてくれ!」と言って、下の段だったkokoroっちのベッドの下に、つまりベッドと床の間にもぐり込もうとしたので、私たち二人は引いた。なんだ?この人???おたずねモノか?

 しかしそんなことをしたところで、まわってきた警察官にはすぐに見つけられ、呆気なく御用となった。「どこから来たのか?」という警察の問いに、消え入るような小さな声で、「コソボ・・・」と青年は答えた。ちょうどその頃、コソボでは戦争が起こっていて、彼のような祖国を捨てた人がたくさん居た。フランスに逃げてきたが仕事が見つからず、今度はイタリアを目指し、私たちと同じ寝台列車に乗ったところで、彼の逃亡劇は終わった。(と思う。)

 そういえば、kokoroっちのブログに書いていたとおり、彼の荷物は、コンビニの小さいビニール袋みたいなのひとつ、手にぶら下げているだけだった。ビニール袋をぶら下げて、そのまま警察に連行されて行った。

 今思えば、あんな光景を目の当たりにするなんて、なかなかないことだったなあ、と思いながら、あまりに自分が自由すぎて、無謀な生き方をしすぎていて、そんな出来事も、「ふうん・・・」としか受け止めることのなかったあの頃の私って、あまりにも世間知らずだったと思う。彼もまた、あのとき、どうする事も出来ない大変な事態が自分の国で起きて、生きのびるために必死だったのではなかったか。

 この件だけでなく、この列車ではほかにもいろんなことが起きた。検札のとき、切符を見せようとしたらトランクに切符を入れていることに気がついたので、トランクを開けようと思ったのだけれど、そのカギを私が失くして大騒ぎになった。このときは車掌がナポリ人で、「オレはナポレターノなんだから、こんなカギ開けるくらい、どうってことないさ。」と安全ピンみたいなものを持ってきたものの、ナポレターノの錠破りの腕をもってしても、私のトランクが開くことはなかった。
 さらには電線が切れたか何かで停電になり、真夜中に何時間も電車はそのまま立ち往生。6時間遅れとなってしまったので、ブリオッシュと水の配給を受けたり、ということもあった。(フランス国鉄さん、ありがとう。あの事故が起こったのがイタリアだったら、たぶん飲まず食わずのままだったと思う。)

 そんな意味があるのだかないのだかわからない出来事や経験ばかりがつらなっている自分の人生だけど、これからはそれらすべてをいとおしいと抱きかかえて、日々生きていきたいと思っている、このごろの私。

 
 食べ物や水の問題まで出てきて、かかえた問題がより複雑化を増してしまった日本ですが、ともかくあきらめずに前に進むしかありません。
 お願い!原発、おさまって!!