公開レッスン

 おら、東京さ行って来ただ。


 先日、2日間にわたり、イタリア文化会館のホールで行われた、マリエッラ・デヴィーアの公開レッスン。どういうわけか夫の生徒さんが二人、受けることになったので、デヴィーアが何言うか、聞きたいじゃん、というわけで行って来ました。私が出かけたのは一日目。

 とても厳しいレッスンでした。まあ、何となく想像はしていたけれど、それ以上に。(流行りの言い方だと、想定外?)おそらくソプラノなら、多くの人がやっていて、普通にまかり通っているようなテクニックも、彼女にかかれば当然のようにダメ、とあっさり一蹴されてしまう。これまで自分が持ってきた価値観とか、方法とかを、みごとに覆されるようなレッスンでした。客席の人、みんな平然として聴いているように見えたけれど、私にとっては恐ろしいレッスンだったなあ。受講者に対し、あなたの声には、これこれの問題があることを、自分で自覚していますか、自覚しているのなら、何故、それを改善しようとしないのですか、と容赦なく詰め寄る場面も多々あり。でもその厳しさは、おそらく彼女が自分自身に課してきたもので、だからこそ、あの声があるのだと思う。彼女の発声って、フレーニと似てるなあ、とずっと昔から感じているんだけど、フレーニはデヴィーアみたいに上が出ないものね。やっぱりあれは、彼女独自の、誰も持っていないテクニック。そういう意味では、テノールアルフレード・クラウスを思い出したり。
 レッスンは足し算だと思っています。全部全部を自分に当てはめようとせずに、自分にとって有益であると思えることを、いろんな先生から取り入れていけばいい。何が大切で、何が自分に必要なことか、それを見極めるのは、その人のセンスや能力にかかっている。

 最後に。通訳がひどかった。受講者が歌い終わって、まだデヴィーアが何も言ってないうちから自分がしゃべりだしたり、受講者にわかりやすいように、ということわりを述べながら、勝手に言葉を付け加えすぎていたと思う。あるいは全然違う訳になっちゃったり、そこはきちんと訳せよ!ってことろはすっとばしたり・・・思うに、彼、ああいうことに慣れすぎている人なんだと思います、悪い意味で。ロシア語に堪能でいらっしゃった、米原マリさん、だっけ?が生前、「通訳をするというのは、自分自身を消していくこと。」と話されていたのを思い出していました。この夜の訳者とも呼べないおっさんの、一人よがりな言葉に、イライラしていたのは私だけではなかったはず。まわりのお客さんも不満な様子だったので、始まってすぐ、早々と、「すみません、あなたの言葉を聞きたいのです、マイクを使ってもらえませんか。」と、ステージ上のデヴィーアに向かって、客席からイタリア語で大声で叫んだ夫。でかしたよ。