サンタンティモ修道院

 先日、春のトスカーナの旅の写真データが、ごっそりなくなった、と書きました。メモリーカードのなかに入っていたはずの写真、結局、300枚以上がなくなってたんです!さっさとバックアップ取ればよかったのに、ほっといたらこんな始末です。
 で、ありがたいのは、パソコンの得意な生徒さんに相談したら、「そんな話は聞いたことがないけれど、調べてあげる。」と言ってくれて、「出来るかどうかわからないけれど、復元する方法があるらしいので、試してみましょうか。」と。全部はムリだったけれど、7割くらい、復元してくれました!これって、警察なんかが、犯人が消したデータを戻す、みたいなことする、あれでしょうか?(ちなみに私、容疑者ではありません。)ともかく戻ってきた写真で、尻切れトンボになっていた旅ブログ、仕上げます。 

 サンタンティモ修道院。ワインで有名なモンタルチーノの街から9キロ(だったかな?記憶がすでに怪しいけれど、ともかく10キロとか、そんなもん。)ほどの位置にあります。
 ロマネスク様式がうつくしいことで有名な教会。ずっと行ってみたかった。今回の旅を計画し始めてから起こった、3.11の震災、それにつづく原発事故。日本の平安を祈るなら、ここの教会しかない、と、なぜか勝手に心に決めた私でした。

 ドライな感じのファサードが、この地方の気候や風景にぴったりだと思う。その前に立つ、オリーヴの古木が、趣きを添えています。  
 
 須賀敦子さんが、何かで書いていらっしゃった、ロマニコ(ロマネスク様式)では清楚であったものが、ゴティコ(ゴシック様式)ではなぜだかとつぜん謳われなくなる、という言葉、確かにそのとおりだわあ、と、この建物の正面に立って、あらためて噛み締める。私は断然、一見、何でもないような顔をしてすましている、ロマニコの方が好きですけれど。
     
 正面右手に、ハーブなどが植えられた、手入れの行き届いた庭が広がります。その奥は、修道士さんたちの食堂として使われている、というのは、今の話だったか、昔のことだったか・・・(←なんでそんなことを自分が知っているのかも?なので、間違ってたらスミマセン。最近、夢で見たことと現実がぐちゃぐちゃになってしまう、ある意味幸せなオバサンです。)

     
 柱には、ロマネスク独特の彫刻が。こういうの見ると、「ヘタウマ」と表現される絵を、つい思い出してしまいます。愛嬌があって、親しみがあって、優しくて、何よりわかりやすい感じが、すごくいい。

     
 中に入って、正面奥、後陣部分にあたる窓から差す光が、もうこの世のものとは思えないほどうつくしく。天上の世界って、こんな光に満ちているのでしょうか?ガイドブックに、この教会を訪れるなら、朝の光が窓からふりそそぐ午前中に、とあった言葉を忠実に守って正解でした。みなさんもここに行かれるのなら、朝がおすすめですよ、朝!
     
 私、神様も宗教も信じない人間なのですが、それでも困ったときはちゃっかりお願い、というか祈ることはするんですけど。なんていうか、自分が祈りたいそのときに、何に対して祈るのか、その対象物、心の中に描ける景色、みたいなものを、この教会に来て初めて持つことが出来ました。それだけで、なぜか心強い気がします。

 サンタンティモ修道院といえば、その建物の様式感、ロマネスクの見事さばかりがたたえられているような気がしますが、この教会、グレゴリオ聖歌を歌うことで有名な教会でもあります。

 聖書を読む代わりに、グレゴリオ聖歌を歌う。祈ることが歌うことである教会、というのもめずらしいと思います。歌うことをどれほど重要としているかは、この教会の作りを見ても明らかです。
     
音響効果をねらった、すっごく高い天井。はなはだ不謹慎であるとはわかっておりながら、ここで声を出さずにいられなかったのが夫。教会関係の人がいないことをいいことに、大きな声で歌いだす始末です。

 以前、あるテレビ番組で、ここの修道士の方が、歌うことで精神的に支えられる気がする、と話されたのを聞いたとき、あ、それはわかるな、と思ったのでした。でも、自分ではきちんとそのことに気がついてなかった。はっとさせられた言葉でもありました。

 一日に何度か行われるミサで、彼らがグレゴリオ聖歌を歌う典礼が行われるようです。一般の人がミサに参加して聴くことも可能らしいので、ぜひまたいつか、それを聴きにきたいな、と思いました。

 そういえばここに着いたとき、タクシーを降りて教会に向かって歩いていたとき、小走りで坂道をかけ下りていく一人の修道士の方を見かけました。アッシジのサン・フランチェスコ風の黒い僧衣をまとった彼を見たとき、一瞬、自分が中世の時代にすべりこんでしまったのではないかと、錯覚を起こしたのでした。