神殿好き 〜セリヌンテ〜

     

 シチリアの神殿といえば、真っ先に挙がるのがアグリジェントの神殿群。街から離れた高台の、崖の上みたいな場所は、神殿の谷と呼ばれている。そこにいくつも点在しているギリシアの神殿をふらふらと、シチリアの夏の太陽のもと、のぼせたような頭でほっつき歩きめぐったのは、十数年も前のこと。フィルムで撮った写真しかない時代であったため、ここでご紹介できないのが残念。

 で、次に有名なのがセジェスタの神殿ではなかろうか、と思うのだけれど、山よりも断然に海派、という四国生まれの私がそれよりも先に目指したのが、セリヌンテの神殿でした。

 錯綜しまくった歴史のなかで、いろんなモノ、コトが発展途上なまま現在に至っている感の否めないシチリア島は、広大な面積を持ちながら交通の便がすこぶる悪いので、レンタカーであっちこっちと、自由に旅するのが正解だと思われますが、私、日本にいても非常事態以外、車の運転はできるだけ避けたいというペーパードライバーゆえ。日本を発つ前、パレルモから公共交通機関でのセリヌンテ訪問の計画をあれこれ企てるも、あえなく挫折・・・ば、ば、バスが・・・日に何本とか、ないに等しい本数で・・・しかもその少ないバスとバスを、途中で乗り継ぐ必要があり。で、さらにはその日のうちにパレルモまで帰って来れなさそう、なことが判明。電車での方法も調べたりしたけど、ともかくぜんぜんダメ。どいつもこいつも使えない・・・

 しかーしっ!!!神は、うつくしい人を見捨てることを決してなさいませぬことよ。出発の数日前、ネットジプシーをしていた夫により、パレルモ発セリヌンテ行きのバスツアーがあると判明!しかも週に一度しか催行されないこのツアーの曜日が、私たちの予定にもぴったりと合っていたので、もう迷うことなく申込のメールを送る。「でもこれ、最少催行人数が8人となっているけど・・・」と心配する夫に、「(私がどうしても行ってみたかった)セリヌンテには世界中から人がやってくるんだよ!8人なんて、ちょろい、ちょろい!」と返しておいた。

 が、申し込んだツアー会社からの返信メールには、「現在のところのツアー参加希望者は2名様のみですので、ひきつづき、参加者を募集させていただいております。もしもこれ以上参加者が集まらなくとも、今回のツアーは、催行させていただきます。」というようなことが書かれていた。2名って・・・つまり、私たち以外に申し込んだ人は世界中に一人もいない、ということだ。何というか、まあいつでもそうなのだが、私に魅力的だと映るものは、大体において不人気、というか、私の趣味って、世界的に見てもかなりマイナー、ということが、ここでも証明された形、なのだった。ツアーに参加して、人に連れて行ってもらう旅行なんて、cucciolo としたことがこんな他力本願型の旅になってしまうのは不本意ではあるけれども、今回は仕方がない。ともかく無事に(?)、セリヌンテに行けそう、ということで安堵し、機上の人となった。

 「さて、その後いったい何人くらい集まったんだろうね?」などと話したりしながら、私たちはセリヌンテに神殿を見に行く日を迎えた。その日の朝、私たちの泊まっているホテルまで、ツアーのガイドさんが迎えにきてくれることになっていた。

 金髪を後ろでひとつに束ねた、やや小太りな感じのイタリア人女性がガイドさんだった。参加者が8人集まれば、バスでセリヌンテを目指し、そこでは英語でのガイドがつくはずであったこのツアー。ホテルの前に停まっていたのはフツーの自家用車で、その小太りのガイドさんが、なんと運転手も兼ねていた。そして気になる参加者はというと・・・やっぱり私たち二人だけだった・・・

 というわけで、まあ私たちの選んだツアーは不人気だったかもしれないけれど、そのお陰でガイドはちんぷんかんぷんの英語ではなく、イタリア語でやってもらえるし、おまけに自分たちの好き勝手な注文が出来るのかも?!ということをたくらんだのは私だけではなく、夫も同じであったらしい。

 というわけで、パレルモ発セリヌンテの神殿をめぐる勝手気ままツアーのはじまりはじまり〜。

 目指すは一路、セリヌンテへ。ともかく太陽が高いところまで昇ってしまっては暑すぎて、ものすごく広い場所にあるセリヌンテの神殿を見てまわるなど、正気の沙汰ではない、というガイドさんのお話。すごいスピードで車を飛ばす。

 目的地に到着。チケットを買い、そして神殿見学より先に、なぜか土産物を買ってしまう私・・・もちろん、神殿の形の置物。(アホだよ。)


      

      

 野生のういきょうやサボテンなんかが茂る自然の野に建って、ひときわ目をひくのが、E神殿。(←であっていると思うのだけど。)パエストゥムの神殿に行ったときは、まわりからただ眺めるだけだったのだけれど、ここは神殿のなかっていうのかな、に、身を置くことができる。太古の昔、どうやってこんなにぶっとい柱をいくつも作れたのか、と、目には見えない、何だかものすごいパワーとかロマンみたいなものに圧倒されて、ただ、私は立っていた。今、こうしてパソコンの前に座り、あの神殿の孤高な姿を思い描きながら深呼吸するだけで、身体のなかに生きるエネルギーがチャージされていく感じ。あそこ、間違いなくパワースポットだったわ。

      

            

 セリヌンテの神殿群は、大きく2つのエリアに分かれているらしい。私たちは行きなれているガイドさんの車で回ってしまったのでよくわからないのだけれど、通常、徒歩で見てまわるのはとんでもなくしんどいことなのだそうだ。広大な敷地をまわるには、トロッコみたいな電車に乗って、という方法もあるらしいので、そういうのを利用したほうが良いと思われます。

 というわけで、もうひとつのエリアのほうへ。次のエリアに車で入るときに、チケットの半券を見せる必要があるので絶対になくさないでね、とガイドさんに言われていた、その半券を車の窓から見せて、あっさりスルー。


        

 車を止めて、歩く。眼下に広がる海は、地中海というべきか、アフリカ海というべきか。シチリアという場所は、イタリアであってイタリアでない、不思議な場所だと思う。エキゾチックな雰囲気の、異国の景色。海を見ても、なんか違う。イタリア本土ではないからかな、自分の立ち位置がいつもと違っているような、そんな不思議な感覚。
ガイドさんが、「もし海水浴がしたいのだったら、泳いできていいよ。」と言ってくれる。ああ、残念!まさか神殿のそばで泳ぐなんてシチュエーションは思ってもみなかったので、水着がないのだった。

 車で移動したエリアから、先に見学した神殿を遠くにのぞむ。全体がどんなに広い場所であるか、少しお分かりいただけるかと思います。

        

 次なるエリアは、(といっても、ここもけっこうな広さだけど・・・)目に付くのが瓦礫ばかりで・・・というよりも、このセリヌンテの神殿、ガイドさんも話していたけれど、「掘れば掘っただけ、まだいくらでも何か出てくるのよ。」と言っていたように、何だかまだ発掘途中のような感じがした。いや、発掘の途中で作業を投げ出した、といったほうが正しいのかもしれない。ただ歩いている足元の地面の、土ボコリにまみれた石を拾っても、あきらかにそれは何かの遺跡の一片で、「こ、これって、もしかしてスゴイものなんじゃ・・・」と思うんだけど、それがもう当たり前に、そこら辺に広がっている。神殿の名前が、C、E、Fとか、アルファベットなままなのも、やっぱり整理途中っぽい?と私には思えるのだけれど。

     

     

     

     

 写真だけだだだーっと並べましたが、崩れた遺跡の瓦礫ばかりで、今となっては写真を見ても、どれがどこにあったものだったか???で・・・最後の写真のは、最初にみた神殿のほうにあったような気も・・・すんません・・・



 日陰などまったくない敷地に点在している遺跡をめぐっていると、おもしろい木を見つけた。

      

 風が一定方向から強く吹くので、こんな姿になっちゃったんだって。そのひょうきんな木のしたでひと休みする観光客。なかなか間の抜けた、お気に入りの一枚が撮れました。

 あと、いたるところで自生していた植物。これ、カッペリ(ケッパー)ですって。スモークサーモンとかに添えるやつね。こんな風に生えているんだね。

     



     

 海を臨んで建つセリヌンテの神殿が完全な姿であったとき、どんなにうつくしかっただろうか、と想像したり。でも今の廃墟のような姿にも、それはそれでものすごいロマンを感じたり。日本に居ると、どうもちまちまとした視点ばかりになってしまうので、ときにはこうやってどーーん!!!と大きなものを前にして、日本人的な自分の見方や考え方をリセットする。私にとって神殿は、そういうものでもあります。