ここだけの話

 校歌つながりで、今日はおもしろいエピソードをひとつ。

 30年以上昔の話になるのではなかろうか。氏は当時、ミラノに居を構えていた。ある目的を果たすために。その目的が何であるかを、ここでは書かない。氏が誰なのか、容易にわかってしまうので。ともかくこの彼の目的は見事に遂行され、そのことによって氏は、今や日本においては著名な音楽評論家の一人に名を連ねている。

 同じ頃、ミラノで暮らしていたのが夫であった。というわけで、この話、夫がおもしろおかしく、何度も話してくれるエピソードである。(年をとると、ホントに同じ話を何度も繰り返すのだが、心優しい妻である私は、ともかく夫が話終えるまでは初めて聞くフリをし、話がおしまいにたどり着いたところで、「その話、もう何度も聞かされてるよ。」と言ってやる。←なでといて、叩く方式。)

 ある日、夫のところに氏から電話がかかる。「お願い、助けてよ。」

 異国に居て、日本人に「助けてよ。」などと言われたら、さすがの悪人の夫も放っておくわけにはいかなかったらしい。ミラノ市内にあった、氏の自宅に出向いた。

 氏が夫に、助けてほしい、と言ってきたお願いの内容はこうだ。その頃、ミラノにある日本人学校では、校歌の作曲の公募をしていた。歌詞はあらかじめあたえられていて、その歌詞に曲をつけて応募するというもの。ミラノでも自分の功績を残したかったのだろうか、ぜひ、その公募に参加したかった氏。しかしいざ曲を書き始めると、まったくメロディーは浮かばず、ちっともはかどらないので、夫に、お願いだから続きをやって、と頼んできた次第。(夫に作曲を頼むなんて、まったくの人選ミス。)

 氏から差し出された作曲途中の楽譜は、冒頭部分にだけ、じつに稚拙なメロディーが添えられていて、ほとんどは白紙の状態。見た瞬間、うへへ・・・となりそうな夫だったが、仕方がないので、どうにか白紙部分を埋めて、一応、曲は完成されたらしい。

 こうして、じつは夫が曲をつけたのに、氏が作曲したことにして公募にかけられた校歌は、まあ言うまでもないが、もちろん採用などされるはずがなく、見事に落選した、というのがこの話のオチである。(この審査にあたった人の審美眼だけは、確かだったといえるかもしれない。)

 まるで雲の上の人のようなお偉い方も、ひょっとしたら平平凡凡な私たちと大差ないのでは?と思わせてくれる、ほほえましいお話。