ひとあし早く・・・

 11月も、もうあと少し。うちはお休みできなかったけど、世間的には3連休の最終日であった今日。ぽかぽかと日差しがあたたかく、気持ちのよい一日になりました。

 ♪ こんな小春日和の〜 おだやかな日は〜

 網戸洗いだ。

    

 ずいぶん前から、窓の汚れが気になっていた。それでちょちょっと窓拭きなどもしてみるのだが、そんな小掃除はただの気休めにしかすぎないこともよく解っていた。窓の外側にある、あの網戸の掃除をやっつけなくては。窓なんかいくら拭いたって、また雨が降れば同じこと。

 イタリアでは、大掃除の季節は春だった。あれ、とても理にかなっていると思う。冬のあいだは家の中をあたたかくしておくために、部屋を閉め切った状態が多いので、いくら普段掃除をしていても、細かなホコリなんかはぜったいどこかに潜んでしまうはず。私は経験がないけれど、暖炉に火を入れたりするお宅なんかは、燃えたあとの灰の始末とか大変だろうし、やはりそのまわりってどうしても汚れやすいのではないだろうか。そういった冬にたまった、澱んだ汚れを(あるいは「気」みたいなものもかな?)、春、窓を開け放してきれいに一掃してしまおう、というその方法、すごく正しいと私は思うのだ。

 しかし日本では、新年をスッキリきれいにした家で迎える、ということになっている。それもわかる。そして日本で日本人として生きていく私は、そのしきたりに従いたいのだが、網戸洗いや窓の掃除を、年末の寒風吹きすさぶなかでやるのはまっぴらごめんだ。風邪でもひいたらどうしよう。お医者さんも休みになる年末やお正月に寝込んだりなどしたら・・・というわけで、できるだけ網戸洗いは、まだ11月のあたたかいときに、と決めている。

 149センチ38キロという小柄な私にとって、あの大きな網戸をはずしてヴェランダまで運び、洗剤で洗って水で流して干すのは、本当に重労働。夫は昼ごはんの後おやつの時間まで昼寝、という、保育園児のようなタイムスケジュールなので協力してもらえず、仕方なく一人で頑張る。

 網戸が終われば、次は窓拭き。どうして夫は手伝おうとはしないのか?と考え始めるとものすごく腹が立ってきて、窓を拭く手にも力が入る。だいたいゲージュツカという生き物は、人にこういうことを全部させといても、悪いな、なんて、ちっとも思ったりしない。一芸に秀でるというのは、見方を変えればどうしようもないもんだな、などと次から次へと恨みつらみを思い浮かべながらやれば、どんどん窓はきれいになった。せめて最後の網戸の取り付けだけは、一芸に秀でた人にやっていただこう。

 しかし網戸を洗ったのに、明日は雨らしいが。