アクイレイアのバジリカ

 年が明けて半月も経つのに、未だに起動していない私です。いかん、とは思いながら、家から一歩も出ない日もめずらしくはなく・・・ランチとかお茶とか、お友達とのお約束などもいっさい入れずに、毎日家でごろごろしています。このまま一生誰にも会わずに死んじゃうのかも・・・と、そんなことをぼんやりと思いつつ、ま、それならそれで良いか、と考えてしまうほどに重症。

 今回の記事も、本当は昨年のうちにブログにアップしたかったのですけれど。なんか今日、ちょっと気が向いたもので。

 ずーっと私が行きたかったこの場所を知ったのは、須賀敦子さんの「地図のない道」を読んだときから。もう十何年も前のことになりますか。

 トリエステまで行くのなら、絶対ここにも足を延ばそうと決めていました。アクイレイアはかつて、ローマ帝国時代に重要な都市として栄え、その後紀元4世紀には大司教区が置かれたことから、宗教的にも大変意味をもつ街となりました。今ではヴェネトの平野のなかの小さな町にすぎませんが、しかしここにはすばらしいモザイクの残るバジリカがあるのです。ちなみに、立派に世界遺産です。

 ・・・と、この記事を書いている脇のテレビで、たった今、トリエステとアクイレイアの番組が放映されていますいます。どういう偶然?!

 えーっと、簡単に交通機関での行き方を。

 私はトリエステ方面から向かいましたが、ヴェネツィア方面からでも同じことで、ヴェネツィア(正確には、ヴェネツィア・メストレからでしょうか。)〜トリエステ間の鉄道駅、チェルヴィニャーノ(Cervignano)で下車。そこからアクイレイアのバジリカ近くまでは、SAFという会社のグラード行きのバスを利用するのが一般的な方法かと思われます。
このSAFのバスですが、本数が大変少なく、また時刻表に記されている、季節運行だったり、曜日によっては運行されない便だったり、を意味する、暗号のような(!)アルファベットの頭文字を読み解く必要がありますので、くれぐれも注意なさって時間を確認してご利用くださいね。(最悪、チェルヴィニャーノの駅からタクシーを使っても、そうたいした金額にはならないのではないかと。私の想像なので、責任は持てませんが。)

 トリエステから鈍行みたいな電車に乗ったのですけれど・・・あのー、イタリアの電車って、ローマ〜ミラノ間みたいな大きな幹線の立派な電車ではなく、地方の小さい路線の電車は、今でもしーっかりと遅れて、のーんびり走っているのですね・・・昔と違ってイタリアの電車もわりと時間どうりに走るようになったもんだわ、といつしか思うようになっていた私。この日は甘かった。チェルヴィニャーノまで、ほんの30分、と思っていたのが、まあしっかり遅れて、駅に到着したときには、すっかり乗り継ぎのバスが発車する時刻にっ!

 焦りました。何せバスは本数がないので、一本逃すとえらいことになりますっ!急いでバスの切符を買おうと、駅構内のタバッキみたいな売店を探したのですが、この売店の人がなんとヴァカンスに出かけて閉まっておりっ!
 またまた焦って、駅のバールのおばちゃんに訊いたら、電車の駅でも買えるとのこと。ありえないと思いました。イタリア国鉄さんで、SAFとやらのバス会社の切符まで売ってもらえるなんて。しかし他に行くところもないので、ダメ元で駅の切符売り場へ。しかもこんなときに長蛇の列・・・

 またまた焦りました。やっと順番になり、バスの切符がここで買えるのか?と半信半疑で訊くと、駅員さんはあっさり「どこまで?」と。ものすごい共存体制であります。アクイレイアまで、もちろん往復を買いました。

 やれやれ。しかし乗ろうとしたバス、もう行ってしまったかもしれません。だってとっくに発車時間は過ぎてますから。でも、ここはイタリア。電車があんなに遅れるのだから、バスだって相当に遅れるのかもしれません。

 結果、私の勝ちでした。バスはそれからさらに30分後にやってきました。合計するといったい何分遅れたことになるのでしょう?急いで切符を買ったあと、こんなにも待たされるなんて。やっぱり私の負けかもしれません。

 バスに乗って、10分あまりでアクイレイアのバジリカなんですけど、降りる場所はこの景色ですぐわかりました。

    

 緑の畑の向こうに見える鐘楼。ああ、この薄グレーの空の下、たっぷり湿気をおびた北イタリアならではの景色。この景色を見るだけで、私、胸がキュンとなります。

 走っているバスの窓から、左手にこのローマ時代の遺跡が見えたら、もう降りなくてはいけません。

    

 この遺跡、ローマ時代のフォロなのですけれど、これからご紹介するバジリカのすぐ近くにあって、バジリカ周辺の発掘がされたときに、どうやらこのローマ時代の遺跡が発見され、日の目をみることになったようです。バジリカのあとに見学しましたが、とても保存状態も良かったです。

 で、バスを降りた停留所から少し道を戻るように歩くと、右手に先ほどの鐘楼が。

     

     

 鐘楼の前には、よく見ると、ほらこれ、ローマの起源の伝説に登場する、雌オオカミに育てられたロムルスとレムスではありませんか。このアクイレイアがどれほどローマとかかわりが深かったのか、うかがえます。

      

 須賀敦子さんの「地図のない道」には、このアクイレイアのバジリカについての描写が、次のような書き出しで始まっています。

 「その大聖堂は浅い木立の中にあった。松、だったようにも思う。高みにたつ大聖堂が帆をいっぱいにあげた船に見えたのは、たぶん、あれがはじめてだった。十一月の曇り空に石の白さがきわだっていた。」

     

 木は松ではなく、糸杉に似たような木でありましたが。帆をいっぱいにあげた船のように見えた、という表現、とても豊かな視点であると感心させられます。

 さて、なかの様子を。入り口から見た聖堂内はこんな感じ。

     

 注目すべきは、床!聖堂の床一面に広がる見事なモザイクです。

     

     

     

 再び、須賀敦子さんの地図の道より。

 「聖堂の床ぜんたいが海に見立てられ、数えきれない種類のサカナが、色がまだらな大理石の小片の波間を泳いでいた。むかし、預言者ヨナをいっぱつで呑みこんでしまったクジラも、使徒ペテロが夜っぴて網を投げつづけたガラリヤ湖の朝、キリストが波の上を歩いたとたん、ごっそりとすなどられてしまった私には名のわからない淡水魚たちも、アドリア海のカタクチイワシも、エーゲ海のマグロも、タコまでがいた。船もあった。運河を航行する底の平たい舟も、奴隷をのせたガレイ船も、帆に風をはらんで、ノアの箱舟とスピードを競っていた。」

 どうやらこの床のモザイクの絵のなかで、一番重要なのは、この何人かの人たちが乗っている船なのだそう。

     

 この船が教会を表しているのですって。そして網にかかったサカナが、キリストによって救われた人々を、網にかかっていないサカナは異教徒を表しているのだとか。それにしても、須賀敦子さんの、このモザイクを描写した部分の文章が、何だかとても愉快に感じられて、だからこそこのモザイクを一度この目で見たくて、ここまではるばる足を運んだのでした。

 この大聖堂の建物は、11世紀の建築でロマネスク様式になりますが、4世紀に造られた建築物(さっきのテレビ番組では、314年に建てられた、と話していました。キリスト教が公認されたミラノ勅令が313年なので、その直後ということでしょうか。)の廃墟の上に建てられたもので、この床のモザイクは4世紀に作られ、長い間、人目にふれずに残っていたのだそう。新しい床を、このモザイクを覆う形で作っていたらしいのですね。こんな素晴らしいモザイクを覆ってしまうだなんて、信じられないけれど、だからこそ、これほどきれいな状態で今日まで残っていられたのかもしれません。

 このモザイクの床、上を歩くことは出来なくて、左右に設けられた透明の板の通路の上からの見学になります。

     
写真右側の、柱に沿って設けられた透明の板、わかるかなあ?写真撮影もフラッシュなしならOKなのですが、いかんせんこの通路の上からの撮影なので、モザイクの写真がどれもこれも斜めってしまってですね、仕方ありません。

 祭壇の上のフレスコ画も素敵な雰囲気。

     

 ちなみに祭壇側から、入り口の方を振り返れば、神聖な光の差し込む空間。

     

 祭壇の右側から、ここは有料になりますが、クリプタ(地下聖堂)も見学できます。
祭壇の上のフレスコ画と同じようなフレスコ画が一面に描かれた、やわらかであたたかな空間でした。

     

 このクリプタの入場料を払えば、入り口左から入れる地下の見学もできます。さらに地下にもすばらしいモザイクが残っているのです。

 と、大興奮のうちに終わったアクイレイアのバジリカ見学。なんでこんな辺鄙な場所に・・・と現代の畑や野っぱらの中の大聖堂を見ながら、昔日の繁栄を誇ったであろう日々とのギャップを想うと、歴史って深いなあ、と感慨にふけったりなどいたしました。
不便な場所ではありますが、行き帰りに苦労はしたとしても、あのモザイクは一見の価値ありっていうか、必見!です。ああ来て良かった、と必ず思えるはずです。

 と書きながら、帰りのバスもすーっごく遅れてやって来ました。だけど行きの件がありますから、きっとチェルヴィニャーノからトリエステに帰る電車も遅れていて、上手く電車に乗り継げちゃったりするんだろうなあ、と。がしかし、このときのトリエステ行の電車はめずらしく定刻どおりの運行だったようで、次の電車までチェルヴィニャーノの駅で小一時間は待たされましたか。とほほ、イタリアにはやられっぱなしです・・・