里帰り 1

 最近の泥棒は、「一週間旅行に行ってきまーす!」とか、フェイスブックに書いたりしてるのを見て入るんだって。だからこれからは、私も出かける前は宣伝しないことにして、帰ってから書こうっと。

 というわけで、帰ってきました〜。疲れた〜。

 ここに詳しくは書かないけれど、とてもとても精神的にきつく、つらく、泣いてばかりの旅でした。死へとむかう人の苦しみやつらさ、残された家族の悲しみ、せつなさ・・・幸いにも、今の自分の日常からはかけ離れている事柄ばかりで、普段そういったことに向き合ったり、考えたりしたこともなかったので、突然目の前にざーっと大変な現実が広がった感じで、とてもショックで、とても重くて、ぜんぜん受け止められなかった。

 じつに深刻な旅ではありましたが、そんな旅の途中でも、おバカなことをしでかしたり、笑っちゃうこともあったりするのだから、私は幸せな大馬鹿者なのでしょう。

 朝の8時に家を出て、バスで空港に向かう。朝食は用意するとゴミが出るし、時間もなかったので野菜ジュースを飲んだだけ。なのでバス停の前にあるマクドナルドで、JAFの冊子に付いてきたタダ券でコーヒーをもらう。普通、こういうタダ券を使うときは、別に何かを注文して、それに付け足す感じで「コーヒーを・・・」というのが大人の常識なのかもしれないが、おばさんはタダのコーヒーだけを堂々と所望。バスの中でこのタダコーヒーをいただきながら、空港に向かうのだ。つづいて近くのコンビニで、これは確か、何かのアンケートに答えてもらったのだったクオカードでパンを買う。これは空港に着いてから食べよう。

 空港に着いたら、国内線のチェックインなんてあっけにとられるくらい簡単で、時間もすごく余ったので、ゴールドカードのラウンジで、トマトジュース、お茶、おかきやクッキー、これらすべてタダでいただけてしまって、先に買っておいたパンと一緒にやっとここで朝食。「すごいねー、ここまでぜんぶタダだもんねー。」などと、いい気になるどケチおばさん。ANAの飛行機は本当にひっさしぶりのプロペラ機で、「・・・だ、大丈夫だろうか・・・」と、飛行機に慣れている私をも不安にさせるちゃちな作りだったけれど、一時間ほどのフライトの揺れをものともせず、本を読んで過ごした。到着間近となり、眼下には小さな島々の浮かぶ瀬戸内海が見え始め、急いでカメラを取り出し、シャッターを切った途端、なんと!メモリーカードを入れ忘れたことに気付く。メモリーカード、家にはあんなにいっぱいあったのに!ショックー!!!

 はあ・・・タダで物をもらって喜びすぎて、バチが当たったね・・・メモリーカード、家にはあんなにたくさんあるけど買わなきゃね・・・っていうか、これから行く田舎で、売ってる店を見つけるのも難しいのかもね・・・時間もないから、あちこち探すこともできないしね・・・

 松山の空港に着き、再び空港バスにとび乗ってJRの駅に向かう道すがら、私の頭のなかはメモリーカードのことでいっぱい。せっかくの10年ぶりの里帰りなのに、たくさん写真撮ろうと思っていたのに。

 バスの窓から、過ぎゆく景色をぼーっと眺めていると、「メモリーランド」と書かれた店の看板が目に入った。「ああ!あそこならメモリーカードがっ!!」と喜んだのもつかの間、前を通り過ぎるとそこは墓石を売る店だった。メモリーって・・・そのメモリーか・・・

 そんなこんなで、やっとメモリーカードが手に入ったのは、宇和島駅に着いてから。駅のならびの通りにあるじゃこてんの店から自宅宛てに、自分たちの分やお土産のじゃこてんを送ろうと、歩き出したところで小さなカメラ屋さんを見つけて、無事、メモリーカードゲット。(というわけで、ここから写真ありです。)

 どんづまりの宇和島駅に降り立つと、もうそこは南国ムード満点。椰子の木がずーっと植えられた景色を見ると、いつもやる気をなくす。そんなに頑張らなくてもいいんだよ、的な、ゆる〜い空気につつまれ。(いや、何も頑張っちゃいないんだけど。)

    

 ここからまた、延々とバスに乗る。家を出てかれこれ7、8時間。そろそろ日も西に傾きかけるころかと思う時刻になっても、まだぜんぜん着かない。(途中、飛行機を使ったのに、です。)それでもやっと、右手に海が見えてきました。

    

 やれやれ、やっとこの日泊まるビジネスホテルの最寄のバス停に到着。バスを降ります。

 と、そこに颯爽と現れたのは、な、な、なんと・・・↓↓↓

    

 普通なら親戚の人、というところだと思うけど、そうではなくて、この人は夫の小学校時代の恩師。いつからスクーターになんか乗り始めたの?80をいくつも過ぎているはずなのですが、危ないですよねえ。

 何で小学校の先生が?という疑問はごもっともだと思いますので、少々ご説明を。

 この先生は、自称(失礼。)元音楽の先生で、夫が小学校時代、合唱指導もされていたそう。夫が4年生だったかのときに、この合唱団が何かのコンクールで一位になり、それもこれも当時この合唱団で夫が歌っていたからだ、と今でも信じて疑わない人。それから50余年、自分の子供のようにうちの夫のことが可愛くて仕方のない彼は、今の我が家にも何度も遊びに来たし、用がなくても電話して来たり、手紙をくれたりする人。もちろん今回の里帰りなどは、興奮しすぎたせいか、私たちの行く日を前日と勘違いしており、前の日に家に電話をかけてきて、「おい!あんたら今、どこにおるんや?」と。(私、「家です。」と答えました。)この日も宇和島に着いてすぐ、じゃこてんの店にいるところへ電話をかけてきた。「何時のバスに乗るんや?」と。(聞けば、何時間も前から、私たちの宿泊するホテルで待っていたそうです。)で、どのバスに乗るかを教えたら、なんと待ちきれずにバス停まで来ちゃったみたい。お茶目といえばお茶目ですが、誰にも止められない感ありありな人。

 夫が子供のころよく遊んだ川。

    

 この日は夜、先生と一緒に、夏に亡くなった夫の友達のお宅へ、ご仏前にお線香をあげさせていただき、ここでけっこう泣く。

 翌日はお墓参り。朝、ホテルの朝食室に降りていったら、すぐに先生も登場。「わしもここで一緒に食べることにした。」と、宿泊客でもないのに、前日から手に入れていたらしいホテルの朝食券を、ポケットから出して見せてくれる。おかしな3人で朝食。

 その後、お墓参りへ。

 お寺からは、のどかな山里が見渡せ、

     

墓前では、ずーっとほったらかしにしてしまった不義理を詫びる・・・こんなに離れたところにあるお墓も、将来どうしていくのか考えないとなあ、とやっと気がつく。

 奥に見える山の上に、風力発電を作るという計画が持ち上がっているらしく、先生は30分に一度くらいの頻度でこの話を思い出すようで、「こんなうつくしい山並みを、景観を冒すとは何事ぞ!」とそのたびに怒鳴る。

 お墓参りのあと、親類の家まで行ったところで、なぜか先生が急に、「ほんならもうわしは、今日はこれで帰ろうか。」と、突然の帰宅宣言をし、あっという間に去ってしまった・・・茫然とする私たち。(「たぶん、あとで別れるときが寂しかったかな?」と夫は言うが、あるいは何か用事を思い出したのか、真相はわからず。)しかし、彼から解放されたことに、正直ほっとしたことも事実・・・

 夫の遊び場だったという神社。

     

 下の広場はいつも野球をした場所で、

     

 石段のところにある、大きな銀杏の木を越えたらホームラン。

     

 もう少し続きそうな里帰り編、今日はここまで。