里帰り 2

 しばらく更新が空いたあいだに、ずいぶんと季節がすすみました。ついこの間まで暑かったはずなのに、いきなり冬。いったい今年は秋があったのだかなかったのだか。 

お話は里帰り2日目のつづき。

 お墓参りを済ませ、何の予告もなしに親戚の家を訪問し、ご仏壇に線香をあげさせてもらった。通された和室の仏壇を見て、声には出さなかったが、私はたまげた。相当な数のお位牌が乱立状態。7、8年まえに亡くなった叔母さんの位牌が最前列中央に置かれ、それを筆頭にそのまわりにも後ろにも、ずらずらーっと、きっと大昔に亡くなった、おそらく今の家の人ですら誰だかわからないであろう、たーくさんの先祖のお位牌が、ありったけ並べられている。それもざっくばらんな感じに。その様子を見て、私の脳裏には突然、サン・ジミニャーノの、塔が立ち並ぶトスカーナの風景が広がってしまい、自分は本当に不謹慎なイタリア好きの人間なのだな、と手をあわせながら申し訳なく思った。もうずっと昔に死んでしまった人のお位牌は、きっと、「先祖代々の・・・」というタイトルでひとまとめにした方が、ぜったいスッキリしていいはずなのに、とよそのお宅のことながら考えた。後で夫とも、「あのお位牌の数、異常だったよね。」と確認し合い、「サン・ジミニャーノみたいだった。」という個人的な感想も添えておいた。

 お参りさせてもらったあと、サン・ジミニャーノ風仏壇を持つ親戚の奥さんに、「あそこの喫茶店って、まだやってますか?」と夫が訊いた。「はい、あのおばあさん、まだお店やってますよ。」

 正直、この喫茶店はもうお店を閉めているだろうな、と私も夫も出かける前から話していた。ママさん、相当ご高齢になられているので。

 歩いてすぐのその喫茶店に向かう。私も以前に何度か来たことがあったこの喫茶店は、夫にとっては特別な場所。


     

 さびれたビルの2階にあるここは、50年くらい昔から営業しているらしい。一見、ただの古い喫茶店のようでいて、じつはぜんぜん普通ではないのは、50年間毎日、クラシックの音楽が流れていること。それもただ流しているのではない、80歳を過ぎるママさんが、仕事をしながら半世紀、ここで音楽を聴き続けているのだ。

 四国のど田舎で、これからどうやって音楽なんぞをやっていけばいいのか、指南してくれる人もなく、皆目見当もつかない環境のなかで、まだ中学生か高校生だった夫が唯一、存分に音楽を聴いたり、音楽について話をできたりする場所がここだった。大昔の昭和の中学生が、いっちょまえに喫茶店に出入りしてコーヒーなんか頼んでいたのだろうか?と疑問を持った私は、そのことを夫に訊いたことがあったが、「たぶん水だったと思う。」と彼は答えた。タダの水で、何時間でもいくらでも聴きたい音楽を聴かせてくれたこのお店とママさんの存在は、どれほど大きなものであったか。

 「こんな先生になるとは思わなくて・・・私、昔ここで偉そうなこと、言ってしまった気がするわ・・・」と声をつまらせ、前掛けのエプロンで目頭を押さえたママさん。

 レコードやCDだけにとどまらず、昔はすごい人が来ると聞けば、東京や大阪までコンサートやオペラを聴きに出かけたというママさん。音楽を聴くことには、ン千万という大金をはたいた!という彼女が築いた人生の財産は、今ではすべて彼女の頭と耳に詰まっていて、それをそのまま、あの世まで持って行く!のだそうだ。そして今はもう、彼女が聴きたいと思う音楽も演奏家もいないそう。ほんの少し前、「声が嫌い。」と思って、昔からずーっと敬遠していたマリア・カラスの歌うロッシーニが偶然ラジオから流れ、それを聴いてびっくりしたと言っていた。「ソプラノは、結局最後はあの人に行きつく。」という夫の意見に、さもありなん、と。

 音楽を聴くことについてはもう充分、というママさんの後悔。「自分は若いころからずっと音楽ばかり聴いていて、本をまったく読まなかった、これは人生の大きな損失だった。」と年をとってから気がついて、今、必死になってそれを取り返そうと、時間を見つけては本を読んでいる、とおっしゃっていた。それはそっくり私が自分について思っていたことだったので、はっとした。音楽だけやっていれば良いと思っていた若いころをのことを、猛烈に悔いていて、本を開いてみるが、頭がついていかない、目が疲れるecc.・・・哀しき四十過ぎ。

 あと年をとっても働くことは大切、と思った。今回の旅で会ったご高齢の方で、唯一身体も頭脳もともに健康でいらっしゃったのは彼女だけだったので。また会いに行かせてください。