昔のお散歩道

 今日から師走・・・早いですね。今年もあともう一カ月、と思うと、気持ちがあせって、動かずにはいられませんでした。朝から網戸をはずして洗い、そして元に戻す前に窓ふきを。これらの掃除も例年なら11月に済ませてしまうのですけれど、今年は何だかいろんなやるべきことが遅れてしまっています。

 書きたいことがいろいろとたまってしまっていて、先に書かなくちゃいけないことがあるのですけれど、今日はとりあえず今日の日記を。とてもとても素敵な一日でしたので。

 朝の網戸&窓掃除でくたびれたのだけれど、今日は午後、水泳に行こうか、それとも昔住んでいたあたりに散歩に行こうか、と思案しておりました。意を決して(←大げさ。)10年以上ぶりに、昔のお散歩道をたどってみることにしました。

     

 ずっとこのあたりをもう一度歩いてみたい、と思っていたんですけどね、なんでだろう?今住んでいる場所からもそう遠くないし、いつでも行けると思うと、案外行かないものなのかもしれません。先日、月に一度配られる市の広報紙のページに、紅葉に色づいたまっすぐな一本の並木道の写真が載っておりまして、「この写真の場所、知ってる!」と思わず叫んでしまったものです。だって今の家に越してくる前は、毎日お散歩していたエリアでしたから。その写真で一気に懐かしくなって、お天気も良かった日曜日、久しぶりに行ってみることにしたのです。

 農業関係の研究機関のある、県の敷地内になりまして、ですので、おおっぴらにお散歩していい場所なのかどうなのか良くわからないのですが、私は昔この近くに住んでいたこともあり、雑木林のなかを一人でもくもくと歩いたものでした。ミラノを引き揚げて、結婚してすぐのことで、あまりの自分の生活環境の変化を受け止めることができず、今思えばあのころの私は、軽いノイローゼ状態であったかもしれません。ジェイソンが出てきてもおかしくないような(ホントです。)森のなかの家で、友達もなく、毎日昼間は一人であったように思います。今と違って主婦業のほうもまったくで、朝、バタンとドアの閉まる音で目が覚めると、ああ、夫が仕事に行ったんだ・・・と気づくこともたびたび、という有様でした。そんなふうで、午後になっても時間を持て余し続けていた私の唯一の気分転換が、森のなかを、山のなかを、雑木林のなかを、毎日さまようように歩くことでした。

 そんなお散歩ルートのなかでも、一番行ってみたかった場所がありました。紅葉の季節は、もうウソのように真っ赤なモミジだけの世界がひろがったり、とても素敵な沼が出現したり、という場所があるのです。今の家に引っ越してからも、あそこ、どうなってるかなあ、また行ってみたいなあ、と、その場所のことは一人でよく思い返すことがありました。

 が・・・

    

 な、なんということ!そこへの入り口に、こんな恐ろしい看板!そしてこの辺りに、イノシシが出没するという話が本当だということは、聞いていましたから、この看板を無視してずんずんと山を入って行き、大変な目に遭ったとしても自己責任、とか言われそうなので、泣く泣くこの一番おすすめだったお散歩ルートはあきらめざるを得なかったのでした。

 昔はこの先に、ずーっと入っていけたのですけれどね・・・このすぐ先に小さな公園があったのですが、そこも閉鎖されたようでした。

    

 というわけで、今日は二番目に好きだったルートをたどることにしました。

    

 紅葉は終わってもうずいぶんと散ってしまい、道路に落ちた乾いた葉をわざと踏んで、カサッカサッという音と靴の裏の感触を楽しみながら歩きます。

 すると、あれは・・・

    

 う、牛が、放牧されてる・・・これは昔は見たことなかったなあ。

 さらに歩くと、こんな開けた場所もあるのですよ。

    

 本当に、どこか別の世界に来たようです。こんな恵まれた環境にありながら、引きこもりだったとは(笑)

 今度はこんな看板が目に入り、

    

 黄色と黒の色使いのせいか、一瞬、「牛の次は、きりん?!」と勘違いして喜んでしまったものの、きりんではなく、きけん、なのでした。(中で飼っている動物たちが外に逃げないように、電流を流した線が張られているようです。)

 そして、お散歩折り返し地点。向きを変えて、進んできた道をふり返るとまっすぐの道。

    

    

 スタート地点までまた歩き、見つけたこの花、なんだっけ?

    

 薄い紫の、野ぎくみたいな大好きな花、この花も秋の終わりを告げています。

 そしてその向こうには、かすんだ空のなかに街が見わたせ・・・

    

 これにてお散歩は終了となるのですが、今日の私はまだ終わらなかった。(ここから先はオマケです。)

 どうしても、昔住んでいた場所を見たくなり・・・

 しかしその場所には、数年前に新しい建物ができ、今はもうあの家はないよ、と言う夫の言葉をハナから信用していたので、これまで見に行こうと思ったこともなかったのですが、せっかく近くまできたのだから、どうなっているのか見てみようと・・・

 新しく建った建物は立派でありながら、無味乾燥そのものでして、何ともしらじらとした気持ちになったのでしたけれど、もう少し先まで進んでみようと思ったのでした。

 そうしたらなんと!うっそうとした雑木のなかに見覚えのある古い家がありました。残されていた、と言うより、取り壊すのにもお金がかかるからそのまま朽ちるに任せている、といった、そんな雰囲気。

 設計は名建築家吉村順三の手になる家で、住んでいた当時、すでに築40年くらい経ておりましたので、老朽化もひどく、決して住まい勝手の良い家ではありませんでしたが、しかし窓の外の自然と建物の調和や、家のなかの、ちょっとしたところの粋なデザインなどは、年数を経ても古めかしい感じを受けることもなく、センスの良い、とても思想のある家であったと思います。後にも先にも、あんな由緒ある(?)家に住まうこともないでしょうから、あのころ、もっとあの家での生活を愉しんでいれば、と少々後悔のような気持ちを持ちながら、しばし懐かしくながめて帰ってきました。