高野山へ・・・


 シルバーウィークも終わってしまいましたね・・・連休の始まる一週間くらい前に、突然実家の母から電話。シルバーウィークの間に高野山のお寺へ父の納骨に行くので、現地に集合!とのお達しが・・・行かねばなりません。

 そんなわけでこの前の日曜日、私一人、高野山へ。なんせ日帰りの旅なので、夫はそのハードさを想定して初めっから辞退宣言。「シルバーウィークなのだから、少しは年寄り(←夫自身のこと。)をいたわってほしい。」との発言。はて?意味が??
 思案することしばし。シルバーウィークに敬老の日が含まれていたせいもあってか、シルバーウィークのシルバーを、どうやらそっちのシルバーと勘違いしている様子・・・あえて訂正はいたしませんでした。

 自宅を出て高野山まで、公共交通機関を使い、片道で7回の乗り継ぎ(当然、往復で計14回乗り継ぎしたということです!)を経てたどり着きました。こうした行き帰りの行程や電車の時間を調べたりするのも私は大好きだし(軽めの鉄子か?)父の納骨のためとは言え、一人旅がひっさびさなことでもあったので多少気分が高揚したりなどしましたが、しかしというかやはりというか、高野山は遠かった!片道5時間はかかったでしょうか。こうした苦労のすえにたどり着けることも、ありがたい場所と思える理由のひとつなのでしょう。

 今年は高野山開山1200年という記念の年にあたり、しかも行った日が大型連休中であったため、すごい人出・・・ちょっと引きました。南海電車橋本駅での乗り継ぎの混雑ぶりもすごかったし、極楽橋(←名前の響きにうっとりしますね)でケーブルカーに乗り替えるときなんかはもう大変、前方ははるか彼方まで人の波・・・当然積み残しが出るわけで、自分の乗れる順番が来るまでピストン輸送状態のケーブルカーの発着を何度も見送りました。ケーブルカーの順番を待つあいだ、一人考える・・・この光景、この状況、どこかに似ている、体験している・・・そうだ、ヴェネツィアのサンタ・ルチア駅で電車を降りて、みんなが同じ場所に、つまりはヴァポレットの乗り場に人が殺到し積み残されては次の便を待っているあの光景、あの群衆。やっと乗れたら乗れたで、今度は乗客のなかでもみくちゃにされてしまう小さな私・・・高野山よ、お前もか!という気分なのでありました。ちなみに買い物や食事ができる高野山の繁華街(?)をそぞろ歩けば、そこは観光客向けの宗教グッズやお土産物を売る店のならぶアッシージの街に似ている様でもあり、たとえ国や宗教が違っても結局人間って同じなのかなと思えて、なんだかほほえましかったのでした。

 高野山駅からはバスに乗り(このバスも積み残されるので待ちます!)山道をすすんでいくと、バスに揺られながらも聖なる山のオーラというか、気のようなものがビンビン感じられました。パワースポットとも呼ばれるこうした場所は、人が少ない方がよりそのエネルギーは凝縮されて濃くなるような気がして、混雑する日に出かけたことがやはりどうしても悔やまれました。

 お参りに向かったお寺は、30年近く前、祖母が亡くなったあとにやはり納骨に来て以来でした。無事に四国からやって来た家族とも会うことができ、父の納骨とお参りを済ませることができました。遠くの山に父を一人残して来るような気がしてさみしくて仕方なかったのですけれど、祖母も一緒にいるし、これでいいのかなあと。父がいなくなった家族のカタチに、まだ家族みんなが慣れておらず、ヘンに気を遣いあったりしてなんだかぎこちない雰囲気の旅でしたが、時がたてばこの旅のことも懐かしく思える日が来るのでしょうか。

 いつか静かな時期に、父のいる高野山を訪れてみたいと思います。