神殿好き 〜Paestum〜

     

 歴史的知識はおろか、世間の人様が当たり前のように持ち合わせている一般的な教養すら無いに等しい私であるが、なぜか、意味もなく神殿が好きだ。どうして好きなのか、どこに惹かれてしまうのか。おそらく知識不足のために、いや、好きならそこを掘り下げて勉強すればいいのに、それを怠るために、好きな理由が説明できなくて、自分でもよくわからないまま、神殿や遺跡がある、と聞けば、無条件に行ってみたい、自分の目で見てみたいと思ってしまう。
     

 1990年ごろ、当時私が手にしていた地球の歩き方イタリア編には、表紙をめくってすぐ、というページに、とても立派な、やはり理由はうまく説明できないけれど、これはパーフェクト!と自分が思う姿の神殿の写真が、どっかと載っていた。季節は4月か5月くらいだろうか。まわりの緑は目にも鮮やかで、黄色い可愛らしい花が咲いている、とてもさわやかな野っぱらのなかに、晴れ晴れと、堂々と、その神殿はそびえていた。この神殿はどこにあるのだろう、いつかここに行ってみたい、と思って、時は過ぎた。
 1990年も後半にさしかかっていた頃だったか、私が憧れていた神殿は世界遺産に登録され、それまでよりも、より脚光を浴びるようになった。(ような気がする。)
 南イタリアの、アマルフィ海岸をめぐる旅を計画していたとき、ふと、あの神殿がすぐではないか、と思いついて、足を伸ばすことにした。地球の歩き方での出会いからは、優に15年が過ぎていた。
 サレルノから電車に乗って、40分くらいではなかったかと思う、パエストゥムの駅に到着。(余談だが、この駅は無人駅で、駅のまわりも人一人いない。電車でもバスでも、出かけるなら、切符は出発地で往復買っておいたほうがよい。)
 駅を降りて、目の前にまっすぐのびる道を進む。ひたすらまっすぐ。道の脇には、イタリアンパセリやら、なんとかゼラニュームやらのいろんなハーブとおぼしき草が生えているので、それをつんでみたり、匂いをかいでみたり、文字どおり道草を食いながらてくてくと歩く。進んできた道が、突き当たりになる少し手前で、Delle Rose というレストランの、大きな黒い犬にガンガン吠えられたら(←さすがのcucciolo さんも、これにはびっくり!)、それはほぼ到着の合図。突き当たった目の前の野っぱらには、巨大な神殿が建っているはずだ。
 作家の須賀敦子さんも、生前、このパエストゥムの神殿を訪れたことがあり、そのときの感動を文章に残している。
    
    

 「完全なものがいつもそうであるように、しばらくのあいだはその偉大な調和がかもしだす静謐が、ほとんど人間の手を経ることなくそこに存在していると思わせるほど巧妙な錯覚の網で私をすっぽりと包みこんだ。」

   



 ここを訪れる人はそうたくさんいないのか、私が行ったこのとき、なんと世界遺産は貸切だった。おかげで私もすっぽりと、しばしその静謐な空気に包まれてみたのだった。