ヴィチェンツァで
ミラノから電車に乗ってヴェネツィアに向かうとき、途中で停車するヴィチェンツァの街のことが、なぜか昔からずーっと気になっていた。
そのヴィチェンツァが、パッラーディオの街とも称されると知って、ますます気になりだしたのは、ここ数年のことか。
腰の調子がすこぶる悪い旅だったので、街の中心も中心、ヴィチェンツァのシンボルともいえる、パッラーディオの傑作バジリカとは目と鼻の先、という距離に(安)宿をとった。よし、これで倒れそうになっても、ホテルのベッドに直行できる。
Hotel Due Mori 2ツ星にしては、趣味のよいホテルでした。↓あ、これは部屋ではなくて、ロビーね。
さっそく荷物を置いて街に出る。「ところで、どれがぱっらーでぃお???」「どれもこれもぱっらーでぃお、と思とけばええ!傑作揃いじゃ!」という、じつにざっくりとしすぎた、cucciolo 家の観光。
駅を降りてすぐに感じとったのが、ひょっとして、ここはお金持ちの街??という、ある種の匂いだった。それもブルジョワ的な、鼻につくものではなくて、なんというか、ハイクラス(?)な品のよい匂い。街を歩いても、その空気をひしひしと感じる。イタリアにうつくしい街は数あれど、そこに住んでいる人々に、生活レベルの高さ、知的教養、品の良さ、精神面での豊かさ、みたいなものが備わっていると、直感的に感じ取ったのは、この街が初めてだった。
夕方になって、みんながお洒落して、街を歩きはじめると、ますますパッラーディオの街はうつくしくなった。
経済的な豊かさには、いろんな理由があると思う。この地方は、繊維産業が盛んではなかったか?確かベネトンの本社もこのあたりだったように思うし、そうしたしっかりとした産業が、彼らの生活をささえているのかもしれない。
でもそのほかに、やはりパッラーディオの建築にいろどられた街並みが、ここに住む人の精神の土台みたいなものを作り上げているように、私は思う。
いつだったか読んでいた須賀敦子さんの本にあった、彼女が子供のころ通った学校の、ヨーロッパ人神父さん(?)だったかが、生徒たちに叫んだという、ある言葉を思い出した。
お前たち、こんな思想のない建物に住んでいたら、これっぽっちの人間にしかならんぞ。