「ふ」の箱

   

 加賀の不室屋さんは、麩で有名なお店らしいのですが、お店に行ったこともないし、失礼ながら詳しくは存じていません。ずいぶん前に、「ふ」と書かれた箱に入った、お湯を注げばきれいな麩や具が出てくるお吸い物やお味噌汁をいただきました。インスタント、といってしまうのは申し訳ないくらい、ちゃんと美味しくて、とても上品な吸い物でした。ああ、今でも忘れられない。

 でその「ふ」の箱のなかは、ひとつひとつの麩の吸い物が壊れないように仕切りがついていたので、いただいたあと、このなかに私の長年のコレクションでもあった(?)、旅先で拾った石がおさめられることになったわけです。

   

 海に行くと、海辺にいるほとんどの時間、私はずーっと下だけを見ながら波打ちぎわを歩いています。じーっくり目をこらして、自分の好きだと思うきれいな石を探しているのです。向こうまでじーっくり探して歩いたら、また帰りも目を皿のようにして、はいつくばるようにして戻ります。

 石の色とか形などの特徴は、場所によって、ほんとに全然違います。それがおもしろくて、どこに行っても石拾いがやめられないのです。レンガ色のひらべったい石が多いところとか、パステルカラーの、やさしいトーンの丸い石が多いところとか。そしてイタリアの街にもそれぞれに色があったな、と思いあたるのです。プーリアといえば、エーゲ海の島の家を連想するような、白い建物の白い街が多いように思いますが、なるほど、プーリアの海の町で拾った石は、真っ白だったし、そのうえ軽石のように全然重くない石でした。アッシジの家々の石は、一見するとベージュのようだけど、薄いピンクにも見えるし、夕日が差すとパープルのように変化するし、サン・ジミニャーノはちょっと黄色っぽいな、と行くたびに思うし、ヴォルテッラはもっと黄色味が強くて黄土色みたいなイメージで街の色が記憶されています。どの街も古い時代に、近くでとれる石を使って街を作り上げたらその石の色が街の色になった、というのはとても当たり前で、自然なこと。そしてそのときの建物を、今でも大事に慈しみながらそこに暮らしているのは素敵なこと。

 「ふ」の箱をときどき開いては、ひとりそれらを拾ったときの記憶に浸る私です。