あわや、遭難

        
 道はつづくよ、どこまでも。


 終始ごっきげんだった、モンテフィオラッレへのお散歩。そのままグレーヴェまで来た道を帰れば、めでたしめでたしだったのに、そうではなかったんです。欲を出したために、えらいことになりました。

 ホテルのお兄さんにモンテフィオラッレまでの道を聞いたとき小耳にはさみ、そしてあらかじめ読んでいたロンリープラネットにも書かれていたので、つい興味を持ってしまったのだけど、モンテフィオラッレから少し足をのばしたところに、サン・クレーシという古い教会区があるというのです。本には、モンテフィオラッレから数百メートル先、という表現だったような気がする。お兄さんの話でも、もう少し先まで行けば、という言い方だったと思う。だから、せっかくモンテフィオラッレまで来たんだもの・・・と思ってしまったのが運のつき。ホテルでもらった地図は、要所要所に、その場所の簡単なイラストが入ったような印刷物だったけれど、それを見ても、ああ、すぐにたどり着けそう、そんな距離で描かれてあったんです。

 ふりかえれば、先ほどのモンテフィオラッレの村が。もう少し歩けば、古い教会が・・・?
    

 しかーしっ!!現実はそう甘くはなかった。モンテフィオラッレの村を出て、地図を見ながら歩き始めてほどなく・・・なんか、人も車も、ほとんど通らなくなった気がする・・・

 それでもまだ最初はルンルン気分が続いていたので、素敵なトスカーナの田舎のおうちを写真に撮ってみたりする余裕があったのですが・・・
    
    

 次第に不安になり始めたとき、地元の人らしき、おじいさんと男の子とすれ違う。この人たちを逃すと、もう訊ねる人には出会えないのではないかと思い、「あのー、サン・クレーシへ行くには、まだずい分かかりますか?」と訊いてみると、そんなに遠くもなさそうな返事。ただ、「Bivio ってどういう意味か、わかるかな?」と、私たちが外国人なのを心配そうに聞き返してきた。Bivio とは、分かれ道のこと。500メートルくらい先、いや、800メートルくらいかな、行ったところで、道が分かれるところがあるんだ。そこを右に曲がれば、サン・クレーシ。間違ってはいけないよ、ぜったいにその分かれ道を見過ごさないように、と慎重に説明してくれたおじいさん。

 が、行けども行けども、分かれ道にたどり着かない。500メートルも、800メートルも、とっくに歩いたはずだ。もし、その分かれ道にたどり着けたとして、そこから右に曲がって、どれだけ歩けば、サン・クレーシには着けるのだろう?さらに、サン・クレーシからは、糸杉やオリーヴの生えるのどかな道をずっと下れば、グレーヴェに戻れる、ということなのだけど、いったいそれはどれだけの距離があって、どれほどの時間がかかるのか?

 すっごく不安になってきたけれど、引き返すにもすでにものすごく遠くまで歩いて来てるので、先に進むしかない。どんどん二人とも言葉が少なくなり、険悪なムードに・・・

 さらに行くと、途中、若いカップルに出会った。車をどこか近くに止めて、歩いていた様子。サン・クレーシってわかるか?と訊くと、「ああ、きっとあそこだ。」という風で、あと10分くらい歩けば、分かれ道があるから、そこを右だと教えてくれた。まだ先か。恐るべし、分かれ道。

      

 そして、やっと、ようやっと見つけた分かれ道!の看板!!!ち、小さっ!!!こ、こんだけかい?
      

 ともかく第一目標の分かれ道に到着。さあさ、喜ぶ間もなく、というか、喜ぶ元気などもはやなく、先を急ぐといたしましょう。

 ほとんど思考回路は停止状態になりながら、しかしここで止まるわけにもいかないので、足だけは前に進めるしかない。水ももうなくなってきたし。そんなとき、あ、あそこに見えるのが、教会区かもしれない。
      

 じゃっじゃーん!サン・クレーシ、到着・・・ここも・・・こんだけかい?誰もいないし。教会も閉まってるし。がーーーん・・・!!!
      
      

 全体の写真を一枚と、入り口の写真を一枚撮る。私がしたかったのは、こんなことなのか?これが、本日の見るべきものか?たしかに、たしかに古い教会だ、だが、それだけしかわからないではないか・・・

 教会前のベンチに座る。ほんのちょっと残っている水を、飲むのではない、口をぬらす、その程度。しかし日は高くなり、暑くなってきていて、夫はこのベンチに腰を下ろしたとき、首に巻いていたマフラーを取る。そしてほんの何分かベンチで休んだだけで、帰途につく。

 しばらく歩いたところで、夫が、「あっ?!オレ、マフラーがないっ?!」と騒ぎ出した。「さっき、あそこのベンチのところで取ったよね・・・私、見たよ。」と、冷ややかに言ってみる。で、取りに戻るのは、わが家の場合、年よりをいたわろう、ということなのか、私のほうなのである。信じられないけれど。

     

 気温の上昇に怒りも加わり、身体も頭もカッカとなりながら、ずんずん来た道を戻る。やっぱりあった。ベンチの下に、ブルーのマフラー。

 またカッカしながら夫のところまで戻る。ホントにもうっ!あったまに来るっ!夫は、オリーヴの木陰で、ひとりしゃがんで待っていた。こういうとき、オレ、すっごく悪いことしたな、と、たいして、いや、まったく思わないところが、夫のすーっごく悪いところ。(だからイタリアなんかになっがいこと住んでいられたんだと思うわ!)

 さあ、怒っても帰れるわけではないので、先に進もう。

 私には、長いこと、かなえてみたい夢があった。絵葉書で見るような、典型的トスカーナの風景といえばいいだろうか。ポン、ポン、ポン、と糸杉の並ぶ小道を、心地よい風にふかれながら歩いてみたい。あの絵に描いたようなうつくしい景色のなかに、自分が入ってみたい。その夢が、「これって・・・ひょっとして私たち、今、遭難しとらんか?」というような形で、実現することになろうとは・・・

     

 しかも、だ。糸杉の太いこと。遠くからみると、スラーっとうつくしい姿なのに、近くで見ると、「えっ、これが?!あの、糸杉?」と疑ってしまうくらい、おデブさんだ。「あの人、テレビで観たらスマートだと思ったのに、実物見たら、けっこう太ってたわ。」というところだろうか?
しかもっ!汚い。アスファルトになっていない道なので、たまに通る車のせいか、はたまた風のためか、土ぼこりで、糸杉の汚いこと、汚いこと。「遠くから見たら、すっごい綺麗な女の人!と思ったのに、近くまで来たら、ぜんぜんそんなことなかった。」みたいな話だろうか?

 というようなことを、疲れきった二人でくっちゃべりながら、歩く、歩く、ひたすら歩く。

 糸杉がのび、オリーヴの茂る乾いた道を、もう一度歩いてみたいなどと、私はこれから死ぬまで思うことはないだろう。少なくとも、今はそう思う。それくらい疲れ果て、このお散歩に出たことをモーレツに後悔していた。しかし無情にも、道はつづくよ、どこまでも。

     

 サン・クレーシを出発してから、舗装もされていない道をひたすら歩く途中、3、4台の車が私たちの脇をすり抜けて行った。ものすごい砂埃がたつので、最初の車が通るとき、口と鼻を覆って、顔をよそに向けて、通り過ぎるのと、砂埃がおさまるのを待ったのだけど、次の瞬間、しまった!と思った。そうだ!乗せてもらえばよかった!ヒッチハイクすればよかった!cuccioloさんの旅では初の、ヒッチハイクを!!!

 2台目からは、車の気配を感じたら、口と鼻を覆って思い切り車のほうに顔を向け、私は大きく手を振り、夫は親指を立てた。(←ヒッチハイクの合図ね。)夫はお金がなかった若い頃(年はとったが今もない。)、ヒッチハイクで旅をしたり、移動するのは常だったらしい。がしかしこの日は、夫の合図に気づく人は皆無。ウデが落ちたのだろうか?しかも止まってくれるどころか、、車に乗っている人たちはみな、なぜか私たちを見ると、大ウケしながら通り過ぎて行くのだ。なにやら可笑しすぎて、SOSのサインなどには気がつかないようなのである。
「どういうことだろ?」と言うと、夫が、「たぶん、こんな辺鄙なところでハイキングをしている中国人がいるよ、なんておバカなんだ、と思われてるんだよ。」と言う。SOSに気づくどころか、私たちの様子は、彼らにはとてもほほえましい光景に映るようなのである。結局、その後通ったどの車の人も、みんなガハガハ笑いながら、私たちの横をびゅんっ!と走り去って行った。

 こうしてヒッチハイクは功を奏すことなく、とぼとぼと歩き続けるしかなかった。
そんなとき、ブドウ畑の向こうから、教会の鐘の音が・・・
 きっと、グレーヴェの教会の鐘だよ。それしかない、っていうか、そう思いたい。
    

 こうして最後の最後まで歩きつづけ、何時間にもおよんだハイキングは終わった。この苦しい経験から得た教訓は、いい加減な地図での距離を信用しないこと。それから、ロンリープラネットは、健脚の人向きのガイドブックであって、いつもぷらぷらしているいい年をした中年夫婦がマネをしようとすると、命にをもかかわる事態になるということだ。