サン・ジュスト聖堂

 私のブログは、毎回話があっちへ飛び、こっちへ飛び、書いた内容がちゃんとカテゴライズされているわけでもなく、ぜんぜん中身が整理できてないことは重々承知しているうえで、今日はまた、今年の夏の、トリエステの旅の話に戻します。こう寒くなって来ると、「夏の旅」という響き自体が、もうどこかちぐはぐなのですけれど。あるいは旅行の話がまだ続いとったんか?と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、どうぞお付き合いください。(しかしこの先も、コンスタントに話が続くという保証はなく、そこは気まぐれ主人の意のままに、ぽつりぽつりと書かれたり、はたまた強制終了される可能性もアリアリです、あしからず。)

 えっと本日は、ストップ・アンド・ゴーと私が呼んでいるバスに乗って、街から少し離れた場所にあるミラマーレ城(←クリックしていただければ、ミラマーレ城のページにとべます。)に行った日のつづきになります。

 ひとつ、ミラマーレ城の記事について、訂正。日本のガイドブックには、このお城に、オーストリア皇太子のマクシミリアン大公と妻のカルロッタが一緒に住むことはなかった、とあったので、私もそう書いたのですが、つい先日、何年か前にイタリアで買った旅行雑誌 Bell'Italiaをぱらぱらしていましたら、ミラマーレ城のページがありまして、そこには、1860年12月24日から1864年4月14日までのたった4年間ではありますが、彼らがこの城の1階部分に暮らしていた、とあります。あまりにきっちりした日付が残っていることと、日本のいい加減なガイドブックよりは、こちらの方が信憑性が高いと私が勝手に判断して、ここに訂正いたします。

 すみません、前置きが長い。で、このミラマーレ城訪問で、ひざがガクガクになるほど歩き疲れ、確かお昼過ぎのストップ・アンド・ゴーでホテル近くまで帰り、軽い昼食のあと、あまりの疲れでホテルの部屋で寝落ち。←と、こんな説明もこれまた余計。午後、少し復活したところで、再びストップ・アンド・ゴーに乗り、この街で一番有名な教会へ。

     

 サン・ジュスト教会。地図で見ると、ホテルからも離れてなさそうですが、丘のうえに建っているこの教会、途中の坂道はハンパでなさそうでしたから、バスにして正解でした。

 ファサードの大きなバラ窓が何よりも印象的。このゴシックのファサードは1300年代のものだそう。となりにどっしりとした鐘楼が見えます。

 中の様子。

      
 
 祭壇部分を、もっと近くから。

      
 残念。ピンあま。

 でもやっぱり私が好きなのは、あの大きなバラ窓。外から教会内部を照らす光が、あまりにもうつくしく、神々しいほどです。

      


      

 実際の方が写真よりずっとずっと素晴らしかったのですけれど・・・やっぱ、ウデですかね?うつくしいものを見て、写真に撮ってみてガッカリした時(と言ってもこの頃は、デジカメですぐに撮った写真を確認できるからまだいいですけど。)、私は写真に撮ることはさっさとあきらめて、自分の目のシャッターを切ることにしています。この時も、カシャッ。

 それから後陣左側の聖母が、私は好きでした。

      

 金色に囲まれた、青い衣服の聖母といえば・・・そう、ヴェネツィアのトルチェッロ島のアッスンタ教会で見た、あの大好きなマリア様。あの姿、雰囲気にとても似ています。やっぱり距離的にもヴェネツィアと近いし、歴史的にも関係が深かったからでしょう。(まったくの余談ですが、上の写真が金色に輝いているワケは、実はこのとき、子供連れで来ていたお父さんが、このマリア様をバックに子供の写真を撮ろうと、すぐそばの機械に1ユーロコインを入れて、ほんの2,3分の間だけ灯るライトをつけてくれていたのです。自分ではお金を払わずに、人様の払ってくれたお金でマリア様のライトがついている間に写真を撮ろうという、誠に身勝手な日本からやってきた40代のおばちゃん。こういうの、いけません。)

 床のモザイクは5世紀のもの。もともとこのサン・ジュスト聖堂は、5〜6世紀のローマ時代のバジリカ跡に、サンジュスト教会とアッスンタ教会というふたつの教会を結合して再建したものだそう。

     

 モザイクといえば!私、ずっと念願だった素晴らしいモザイクを見に出かけたのですけど、そのお話もいつか紹介できるでしょうか、できないでしょうか?(私次第やね。)

 外に出れば、鐘楼の向こうには遺跡の残る広場が。遺跡の向こうに見える剛健な感じの建物は、サン・ジュスト城。中は博物館になっているそうですが、ともかく午前のミラマーレが身体にひびいておりまして、パスしました。(あとで思い出しても、この旅行、ミラマーレの疲れをずーっと引きずってしまって、このあとはどこに行ってもふらふらでした。)

     

 遺跡が手前、奥が教会だとこの眺め。

     

 で、この広場の端っこに立つと、そう、ここは丘のうえですから、トリエステのパノラマが楽しめます。海に面して開けた街は、しかし陸に上がるとすぐに山がせまっていて、山の斜面に家々が並んでいるという、この街の様子や地理がよくわかります。

     

 ここで今日の記事は終わりにしますが、ところでイタリアではここのところ悪天候が続いたそうで、各地で被害が出ている様子。私のお知り合いの方々は大丈夫だったのでしょうか?お伺い申し上げます。
 ヴェネツィアのアックア・アルタの様子は、もちろん日本でも何度も伝えられておりまして、しかしこれほどのアックア・アルタは本当に見たことがありませんね。テレビでも140年で6番目、と報道しておりましたが、「140年で6番目」という表現、今ひとつピンと来ないし、もうひとつすごさが伝わりません。数字が割り切れなかったんですかね?何でしょうな?