ハロウィンのことなど

 テレビを見ながら、ハロウィンっていつの間にあんなに大勢の人たちがお祝いするようになったのだろう?と思ったのは、私だけでしょうか・・・

 10月31日、誕生日なんです。なので私は毎年、みんながにぎやかに仮装したり、お菓子をもらって歩いたりするお祭りの様子を、どことなく距離を置いてみてしまう。最近はあちこちにカボチャの飾りが目につき始めたら、また一つ年をとってしまうのだなあ、と少し重たいような気持ちにもなります。

 昨年のこの時期はピエモンテを旅し、ちょうど紅葉も愉しめた季節で、そのときの写真のなかにもハロウィンの飾りの写真を発見。朝食をいただいたバールの窓辺です。    
    

 バローロではアグリトゥーリズモと称した、でも行ってみれば農家民宿ではなくてエノテカを営むB&B みたいな宿だったのですけど、そこに泊まりました。

 すると朝ごはんは、近所の決まったバールと契約をしていてそこでいただく方式になっており、あまり期待せずに出かけましたが・・・
 宿の主人に言われたとおりにしてたどり着いたそのバール、お店のまえやあたりの雰囲気がすっかり秋めいていてとても気に入り、
    
    

肝心の朝食ですが、メニューはとてもシンプルなものでしたが、コーヒーもブリオッシュもチーズもジャムも、どれもこれもすべてが美味しく、

    

 とくにチョコレートクリームの入ったブリオッシュ、今までの人生で食べたなかでダントツでした。有名なヌテッラの本社もバローロからすぐ近くにあったので、チョコクリームは美味しくて当然なのだろうか?・・・などと昨秋の旅の写真を整理しながら、あれこれと思い返している今日この頃。

 今年も同じ時期に旅を計画しまして、当初東北に出かける予定だったのですが、お天気がぜんぜん良くないとわかり直前にキャンセル。で急きょ、長野の山の中へ行ってきました。そのときの様子はまた次回。

メルヘン 舘山寺温泉

 またまた久しぶりの更新となってしまいました・・・
 年に一度、メルヘンと称した大学時代の友人グループで旅行をしておりまして、先週末、「メルヘンの旅Vol.8 舘山寺温泉」へ出かけてまいりました。結婚して15年あまり経つ私にとっては初めて、夫が仕事で2泊3日も家を留守にするという事態が起こった先週末でありまして、ずいぶん前から夫の留守中にはあれもしたい、これもしたい、とそわそわ、そわそわ。「こんな私と、誰かいっしょに遊んでくれ。」と声をかけたらあっという間に旅行の話がまとまりました。そう、みんなどこか行きたい、日常からはなれたい、といつもどこかで思ってはいて、要は何かきっかけさえあればアクション起こせるんだと思いました。

 行きにちょっとしたハプニングあり。名古屋から一緒のはずの友人が電車を逃してしまい、豊橋での乗り換えがどうなるか?というすったもんだがあったのですが、本数は結構あるし、日本だし、どうにでもなるなる、と私はへいちゃら。先に着いてしまった豊橋駅構内で大あんまき(←豊橋ではなく知立の名物だったと思います。)を見つけて買ってしまい、まだほのあたたかい大あんまきを一人でほおばりました。↓

    

写真ではすっごく大きく見えるし、名前が大あんまきなので勘違いされる方がいるかもしれませんが、それほど大きいものではありません。でも朝のおやつにはちぃと立派すぎたかなあ・・・ちなみに窓の向こうに見える赤い電車名鉄電車。

 豊橋で無事友人とも合流でき、そこから浜松に向かい、先に静岡方面から浜松に到着していた友人と、まずは楽器博物館へ。いろんな国の、いろんな楽器が展示してあって、実際に楽器を触って音を出せるコーナーもあったりして、思っていたよりずっと楽しめる場所でした。いちおう音大出の私たち、ここでがっつり2時間経過です。

     
    

 ちょっとヘンな言い方だけれど、イタリアの楽器が一番楽器らしい、と思ったかな。写真のヴィオラ・ダモーレという弦楽器コーナーの視聴のCD、「うわぁ、ルネッサンスの音楽ってこんなにイタリアっぽいんだー!」とびっくりしました。バロックより前の時代の音楽って全然知らないせいか、すごく新鮮!

 その後仕事を終えたもう一人の友人が三島から新幹線で到着、こうして4人全員そろい、舘山寺へ向かいました。

 宿に荷物を置いたらまずはお寺をお参り。    
    

 ふと見上げた空に秋の深まりを感じ・・・    
    

 今度は船に乗って浜名湖を遊覧。    
    

 夕暮れ、湖畔を散策。    
   

 翌日は一人が所用で先に帰途についたものの、残り3人はがっつり観光。
レンタカーを借りて中田島砂丘へ。

   
砂のうえを歩くのって、足腰に来ますね・・・友人二人の健脚ぶりについていけず、私はずっと遅れて歩いているうちに二人の姿を見失ってしまいました・・・

 そして砂丘の先には海が。(友人二人にもやっとここで会えました・笑)
   
   

 瀬戸内海の穏やかな海を見て育った私には、太平洋の波の激しさはすさまじく、男性的で、うわぁ、これが海かあ・・・といつまで見ていても飽きることがありませんでした。

 自然に癒された旅でした。こんなにのんびり、のほほんと過ごした時間は何か月ぶりのことであったか・・・
そして何より、気心の知れた友人たちとのかけがえのない時間。微妙な身体の不調を報告しあい、バイキング料理をむさぼり喰い、他にお客さんがいないからといって宿の温泉でひたすら泳ぎ、家庭内での夫の癖を暴露しあい、ドラえもんの道具のなかで何が欲しいか?というアホな質問をしたりなどすれば、あっという間の一泊二日なのでありました。

 みんなありがとう、大好きです!

高野山へ・・・


 シルバーウィークも終わってしまいましたね・・・連休の始まる一週間くらい前に、突然実家の母から電話。シルバーウィークの間に高野山のお寺へ父の納骨に行くので、現地に集合!とのお達しが・・・行かねばなりません。

 そんなわけでこの前の日曜日、私一人、高野山へ。なんせ日帰りの旅なので、夫はそのハードさを想定して初めっから辞退宣言。「シルバーウィークなのだから、少しは年寄り(←夫自身のこと。)をいたわってほしい。」との発言。はて?意味が??
 思案することしばし。シルバーウィークに敬老の日が含まれていたせいもあってか、シルバーウィークのシルバーを、どうやらそっちのシルバーと勘違いしている様子・・・あえて訂正はいたしませんでした。

 自宅を出て高野山まで、公共交通機関を使い、片道で7回の乗り継ぎ(当然、往復で計14回乗り継ぎしたということです!)を経てたどり着きました。こうした行き帰りの行程や電車の時間を調べたりするのも私は大好きだし(軽めの鉄子か?)父の納骨のためとは言え、一人旅がひっさびさなことでもあったので多少気分が高揚したりなどしましたが、しかしというかやはりというか、高野山は遠かった!片道5時間はかかったでしょうか。こうした苦労のすえにたどり着けることも、ありがたい場所と思える理由のひとつなのでしょう。

 今年は高野山開山1200年という記念の年にあたり、しかも行った日が大型連休中であったため、すごい人出・・・ちょっと引きました。南海電車橋本駅での乗り継ぎの混雑ぶりもすごかったし、極楽橋(←名前の響きにうっとりしますね)でケーブルカーに乗り替えるときなんかはもう大変、前方ははるか彼方まで人の波・・・当然積み残しが出るわけで、自分の乗れる順番が来るまでピストン輸送状態のケーブルカーの発着を何度も見送りました。ケーブルカーの順番を待つあいだ、一人考える・・・この光景、この状況、どこかに似ている、体験している・・・そうだ、ヴェネツィアのサンタ・ルチア駅で電車を降りて、みんなが同じ場所に、つまりはヴァポレットの乗り場に人が殺到し積み残されては次の便を待っているあの光景、あの群衆。やっと乗れたら乗れたで、今度は乗客のなかでもみくちゃにされてしまう小さな私・・・高野山よ、お前もか!という気分なのでありました。ちなみに買い物や食事ができる高野山の繁華街(?)をそぞろ歩けば、そこは観光客向けの宗教グッズやお土産物を売る店のならぶアッシージの街に似ている様でもあり、たとえ国や宗教が違っても結局人間って同じなのかなと思えて、なんだかほほえましかったのでした。

 高野山駅からはバスに乗り(このバスも積み残されるので待ちます!)山道をすすんでいくと、バスに揺られながらも聖なる山のオーラというか、気のようなものがビンビン感じられました。パワースポットとも呼ばれるこうした場所は、人が少ない方がよりそのエネルギーは凝縮されて濃くなるような気がして、混雑する日に出かけたことがやはりどうしても悔やまれました。

 お参りに向かったお寺は、30年近く前、祖母が亡くなったあとにやはり納骨に来て以来でした。無事に四国からやって来た家族とも会うことができ、父の納骨とお参りを済ませることができました。遠くの山に父を一人残して来るような気がしてさみしくて仕方なかったのですけれど、祖母も一緒にいるし、これでいいのかなあと。父がいなくなった家族のカタチに、まだ家族みんなが慣れておらず、ヘンに気を遣いあったりしてなんだかぎこちない雰囲気の旅でしたが、時がたてばこの旅のことも懐かしく思える日が来るのでしょうか。

 いつか静かな時期に、父のいる高野山を訪れてみたいと思います。

 

この夏のこと

    
    

 大変ご無沙汰しております。みなさま、お変わりございませんか?

 半年近く、更新があいてしまいました。ブログだけでなく、私生活でもほとんど誰とも連絡を取っていない数か月であったため、あちらこちらの方にご心配をおかけしてしまっていたと最近知り、これはまずい、とやっとの思いでブログ更新。申し訳ございません。

 6月に飛び込んできた知らせで突然実家での介護生活となりましたが、その甲斐もなく7月に父を見送り、ぽかーんとしたまま秋をむかえております。

 父を亡くした哀しみに、おそらく私はまだ正面から向き合えておらず、その証拠に、8月にはなんとシチリアを旅しております。自分でもどうかと思います。(写真はメッシーナの海。)

 どうも私は今、人生の過渡期にいるようで、何やら不安定なのですが、少しずつ落ち着いてくるのではないかと淡く期待しつつ、あまり深くは考えないようにしたいと思います。

 今後もぼちぼちの更新になるかと思いますが、どうぞご容赦願います。

 

 

 

近況

 三寒四温の言葉どおりの今日この頃ですが、みなさまお変わりございませんか?

 更新がとどこおっておりまして、申し訳ございません。

 父が再入院し、昨年のこの時期同様、私は週末四国に帰る介護生活で、またしばらくブログがストップしてしまいます。もちろん心と身体に余裕があれば書いていきたいですが・・・

 取り急ぎお休みのお知らせまで。早く心穏やかに春を愛でる日が来るといいのですけれど。

奇跡の乗り継ぎ旅

 日が長くなったせいか、少し春の気配を感じ始めた今日この頃。玄関にお雛様も飾った。まだまだこの先も寒い日がつづくのだろうけれども。「今年は本当に寒いねえ。」と、家にこもっているせいで久しぶりに顔を見たご近所さんと声をかけあう。今年の冬が本当に寒い冬なのだろうか?あるいはひょっとしたら私たち、こんなにも寒さが体にこたえる年になったということではないだろうか?と議論に。どっちだ?

 さて、昨年のピエモンテの秋旅。オルタをあとにして、次に目指したのはワインで有名なバローロ

 自分が旅慣れているとはぜんぜん思ってないけれど、しかし最近の旅行ではちょっとしたハードルというか、チャレンジみたいなことを自分に課さないと、なんかつまらないと思うようになってしまった。春のトスカーナでは、公共交通機関を使ってはとても不便ですよ、というバーニョ・ヴィニョーニにあえてバスで行ってみたり。(ブログには書いてないけれど、このときの乗り継ぎもひやひやものだった。宿に着いて、宿の人から「車はどこに停めたの?」と訊かれ、「バスで来た。」と答えたら、「えーっ!?バスっ?!バスで来た人なんて初めて!」と言われて、逆にびっくりした。)そして昨秋の旅のなかに私がほどこしたチャレンジが、この日のオルタ〜バローロ間の移動だ。やはりタクシーを使わずに、公共交通機関である電車とバスのみを乗り継いで到着したい。
    
    

 じつはアルバまでの電車での行き方は、不便ながらも何通りもの方法が考えられ、なのでどの道程というか、どういう乗り継ぎで向かうかという選択にもとても頭を悩ませた。朝の出発が早すぎないようにとか、乗り継ぎ時間や到着したい時間やら、何より本数の少ないアルバからのバスの時間を考慮しつつ、私が選んだのが以下の移動方法だった。

 オルタ 9:00発 → ノヴァーラ 9:40着
 ノヴァーラ 9:59発 → トリノ・ポルタ・ヌオーヴァ 11:10着
 トリノ・ポルタ・ヌオーヴァ発 11:25 → カヴァッレル・マッジョーレ 11:56着
 カヴァッレル・マッジョーレ 12:14発 → アルバ 12:52着
 
 上のアルバまではすべて電車の移動で、アルバからバローロはバス便となり、

 アルバ 13:40発 → バローロ 13:52着

 以上が私の計画だったのだが、イタリアの電車、バスを使って果たして?

 哀しいかな、問題なくスイスイと行けたのは、最初のオルタからノヴァーラへの電車のみであった。ノヴァーラに到着すると、私たちが乗る9:40発の電車が5分遅れの表示。私たちの乗る予定のレジョナーレの電車の前に、ノヴァーラに到着し発車するはずのトリノ行きの特急が10分遅れと表示されていたため、まずその特急を通過させないことには私たちの電車は出ないだろうと予想すると、ノヴァーラでの遅れは10分以上になるとみた。トリノでの乗り継ぎ時間が15分しかないため、ここで10分以上も遅れて出発するとなると、トリノからのカヴァッレル・マッジョーレへの電車に乗れない可能性が出てきた。このカヴァッレル・マッジョーレへの電車に乗り継ぎできなかった時点で、最後の行程のアルバからのバスにも間に合わないことになる。またこのバスは、バローロへ向かうこの日の最終便(だったと思う。あっても夕方とか、とにかく日中はこの便のみ、みたいな感じだった。)であるため、公共交通機関を使っての移動を目標にした私のチャレンジは失敗となるのだ。

 結局、ノヴァーラからの電車は10分遅れで出発。どうにかトリノに着くまでにこの遅れを取り戻してほしいという私の願いもむなしく、トリノ・ポルタ・スーザ駅から終点のトリノ・ポルタ・ヌオーヴァ駅まではノロノロ運転。で、トリノ・ポルタ・ヌオーヴァ駅到着は次の電車の発車時間と同じ11:25!

 電車から一番に飛び降り、荷物のカートを引っ張りながら猛ダッシュ!走りながら駅のモニターで、次に乗るクーネオ行が4番線から発車することを確認し(と同時に、走りながらチラ見したモニターで、自分がこれから乗る電車がクーネオ行だったことを初めて知る。なるほど、南に下るのだからクーネオ方向だわ、たしかクーネオといえば栗とかチョコとか、甘いものが有名だったか?マロングラッセか?などという考えまでも浮かびつつ。)、後ろから走ってきているであろう夫に「4番線!」と大声で叫んでさらに走る走る!!!目指す電車がまだ発車していないことを祈りながら!

 ところが私は勢いがつきすぎたのか、そもそもがうっかりしているためか、目指す4番線を通り越して、さらに奥の3番線に入って行きそうになり、夫に後ろから呼び止められて初めて自分の間違いに気がつき、急いで引き返す。その間に夫が先に4番線に走り、幸いまだそこに停車していた電車に飛び乗ったのだが、なんと閉まりかけていたドアに挟まれる格好となる。(幸いドアの閉まるスピードが、「ガシャン!」というのではなく、「ゆるゆる〜」というイタリア特有(?)の遅さであったため、挟まれていく最中の夫を見ていても痛くはないだろうなあ、というのがわかったので、私もそう慌てなくて済みました。)

 日本ならばこういうことが起こらないように、発車直前のドアが閉まる時間というのは、おそらく駅員の方たちにとっては安全点検に余念がない瞬間なのであろうが、ここはイタリア、夫が挟まったドアの向こうの車内では、すでに車掌さんたちが井戸端会議に花を咲かせていたようであった。しかし発車寸前の電車に突然飛び込もうとした東洋人がドアに挟まれてしまったので、これには大変驚き、3,4人の車掌さんや国鉄職員さんがドアを両側に手で開けようとしてくれた、すっごく怒りながら。こうして人力でこじ開けられたドアから、夫につづいて私、さらにその後ろからぞろぞろと、おそらく私たちと同じ遅れた電車に乗っていたのであろう乗り継ぎ客がみんな同じように息を切らして乗り込んできた。「なんだ、こんなに同じ電車に乗り継ぎたい人がいたんだ。」と、夫がドアに挟まれたことよりも、なぜかそんなことの方に驚いていた私。

 夫は幸いどこもケガなどなく、元気はつらつであったが、ドアを手で開けてくれた女車掌さんは、バタバタと乗り込んできた私たちに対し、とてもご立腹であった。夫のことも心配してくれるわけでなく、「こんなに急いで電車に飛び込んできて、あんたたち、切符はちゃんと検札機に通しているんだろうね?」と言って、いきなりの切符拝見となった。
 おい、ちょっと待て。あんたが気になるのはそこかっ!?トレニタリアさんよ、夫がドアに挟まれたのも、私たちが電車に飛び乗ることになったのも、そもそもはあんたたちの会社の電車が遅れたのが原因だろうがっ!と怒っている私を、ドアに挟まれて一番大変な目に遭ったはずの夫が「もういいじゃん、乗れたんだし。」となぜかニコニコ顔だったので、私もブンブンした鼻息をどうにか抑えることにした。(それに自分は間違えて3番線まで走って行った人なのだから、偉そうなことは言えません。)

 よかった、ともかく乗れた。この電車はほぼ定刻どおりの発車だし(少し遅れての発車なら、それはドアに挟まれた人のせいだし。)、次のカヴァッレル・マッジョーレでの乗り継ぎは時間があるし、これで無事着けるはずだよ、と席に腰をおろしてやっとほっとした気持ちになった。夫は、自分が身を挺したことによっって、たくさんの人がこの電車に乗り継ぐことができたんだ、ということを、何度も何度も口にして誇らしげであった。

 気持ちも呼吸も落ち着いたころ、さっきドアを怪力で開けてくれた「まずは切符拝見」の女車掌のおばさんが席までやって来て、また切符を見せなさいと言う。私は少々ムカムカした気持ちが盛り返してきたので、「さっきもう見せたよっ!」とつっけんどんに言ってもう一度切符を差し出した。ついさっきドアに挟まった大騒動があったのに、もう忘れたのだろうか?

 しばらくすると、おばさん車掌がまた私のところに来たので、一瞬、「また切符かいっ!?」と思ったが、今度は彼女は私に20ユーロ札を差出し、「ねえ、これ小銭に替えて。」と要求してくるのだった。はて?他にもたくさんお客さんいるのに、よりによって何で外国人である私たちにこんなこと言ってくるのだろう?頼みやすいのだろうか?いや、単にバカにされているのだろう。財布の中を確かめると、ちゃんと替えてあげられるだけの小銭が入っている。はあ・・・ちょっとトホホな気持ちで、ため息まじりに替えてあげる。

 その後しばらくはのんびりガイドブックを読んだり、旅日記をつけたり。まるで「世界の車窓から」の気分なのだった。

 そんなのんびり気分もつかの間、どこかの駅に停車中のことだった。キーーーー!というものすごい急ブレーキの音がして、隣の線路に入って来た貨物列車が急停車。何事かと思ったら、事態を目撃していた同じ車両の乗客の一人が説明してくれたのだけれど、私たちの乗っていた電車に乗ろうと、高校生くらいの女の子二人が、隣の線路を横切ったところにちょうど貨物列車が走って来ていて、急ブレーキをかけて危機一髪、貨物列車が停まったんだという。このことで車内も駅も騒然となる。

 そしてそのまま、私たちの電車はそのどこかの駅に停車して発車しなくなった。カヴァッレル・マッジョーレでの乗り継ぎ時間が、今度はこんな予期せぬ事態で怪しくなる。

 やっと発車となったが、さきほど線路を横切って騒ぎを起こした女の子たちは結局、乗りたかった私たちの電車にも乗せてもらえなかったようだった。何より、自分たちのしでかしたことで大変な騒ぎとなり、とてもバツが悪そうにしてホームに立っていた。あの後、罰金を払わされり、こっぴどく叱られたりしたのだろうか?やったことは悪いことかもしれないけれど、なんかしょんぼりした様子にちょっとかわいそうな気もしたりした。

 結局カヴァッレル・マッジョーレへの到着がずいぶん遅れ、本当は乗り継ぎ時間にトイレを済ませたかったけれどそれも叶わず、急いでアルバ行の電車に乗り込んだ。まあ予定の電車に間に合っただけ良しとしよう。

 アルバまでの電車ものろのろ運転。ローカル線ってどうしてこんなにゆっくりなのだろう?いや、日本人の私がせかせかしすぎているのかもしれない、と思う。こののんびりしたスローなテンポが、日本での日常にもとても大事なのではないか?

 ワインの産地に近づいたことを示すかのように、窓の外にもブドウ畑が多く目につくようになる。無事アルバ到着。

 アルバからはバスでバローロを目指す予定なのだが、このバスが果たして本当にあるのか心配。調べていたのは13:40発なのだけれど、なぜか時刻表を調べるとアルバ発のどの行先のバスも13:40発になっていてなんかヘン。

 駅を背にして、私は迷う事なく左方向に歩き始めた。じつは2年前にアルバに来たときも、バスでバローロへ行こうとして、バスターミナルまでは行ってみたのだ。だけど本数があまりに少なくて、バスを使って行くのは断念し、その時はタクシーを使った。今回はそのときのリベンジ(?)の意味もあってなのだった。

 バスターミナルに向かって歩き出した私に、夫が、「ねえ、どうしてバス停がこっちにあるってわかるの?」と訊いて来るので、「2年前にバスターミナルまでは行ったじゃん。あのときはバスがなくて乗れなかったけど。」と言うと、そんな出来事があったこと自体が、夫の記憶からすっぽりと抜け落ちているようなのであった。誰かと旅をしていておもしろいと思うのは、記憶や印象に残ったり残らなかったりする場面や出来事が、人によって全然違うということ。2年前、バスでのバローロ行を断念したことが、私にとっては今回あえてバスで行こうとリベンジまで考える出来事であったのに対し、夫にとってはそんなこと何でもなかったんだなあということ。おひとり様な旅にも憧れるけれど、人と一緒だと自分では気がつかない新鮮な発見みたいなのがある。

 バスターミナルが近づいてくると、学校帰りの中学生か高校生の集団に吸収されてしまった。ちょうどお昼すぎだ。

 バスターミナル到着。まずは悲願であったトイレを済ます。つづいて窓口でバローロ行のバスについて聞きたかったのに、すべての窓口が閉まっていた。誰もいない。ガーン、職員もお昼休みだ。

 仕方ないので、近くにいた高校生の女の子に聞いてみたが、バローロのバスのことはわからないと言う。はて、どうしよう?窓口が閉まっていて切符も買えない。

 うろうろしていたら、さっきの高校生女子が戻ってきて、バスターミナルにあるバールで聞いてみるといいと教えてくれた。イタリアの若者ってこういうところがとても親切だなあと思う。ありがとう。そうだ、バールで聞くということをなぜ思いつかなかったのだろう。

 バールに入って中をざっと見渡すと、何人かの制服を来た人が食事をしていた。あの制服、バス会社の人なのではないか?

 バス会社の職員か?と訊ね、そうだと言うので、バローロへ行くバスは13:40で良いか?と確認。答えはSi.出発はバスターミナルの向こうのほったて小屋の前から、切符はこのバールで買え、と。

 やった。どうやらこれで、私のこの旅のチャレンジは達成されそう。心のなかで小さなガッツポーズ。(そうです、チャレンジと言ったって、たかが自分の心のなかでささやかにガッツポーズ、それくらいのもんです。アルバ〜バローロ間は、バスがないとなったらタクシーを使えば行ける距離、という保険をかけてある私って、じつは小心者。)

 とりあえず出発までに少し時間があったので、オルタのホテルの朝食のときにこっそり作ってバッグにしのばせて来たパニーノで簡単にお昼。今日の乗り継ぎ計画をどうにか無事終える見当がついて、やっと心底落ち着いた気持ちになれる。飲み物にレモンソーダをバールで買い、2ユーロのお昼ごはん。

 バスが出るというほったて小屋のあるところに行ってみると、何台ものバスが停まっているので、近くのバスの運転手にバローロに行くバスがどれか聞いて乗り込んだ。

 驚いたのは、時刻表でどこの行先のバスも13:40発になっているのがおかしいなあと思っていたのだけれど、時刻表に書いてあるとおりで、そのほったて小屋の広場に停まっていたバス全部が、13:40になると一斉に発車したのだった。な、なるほど・・・全部同じ時間に出るから13:40発ばっかりだったんだ・・・と、すべてのバスが同じ時刻に一斉に発車するというありえない光景になぜか納得。(乗客のほとんどは学校帰りの学生さんで、授業が済んでみんな同じ時間にそれぞれの行先のバスで帰宅するということですね。で、学生さんが帰ったあとはバスはもうない、だってお客がいない、そんな感じでバスの時間が組まれているみたいでした。)

    
    

 こうしてバローロに14:00頃到着。朝から5時間あまりかけての移動でありました。
電車とバスだけを使って到着する、というのが私の目標でありましたが、こうして記憶をたどりながら書いていると、この日一番初めの、オルタのホテルからオルタ・ミアジーノ駅までの移動にタクシーを使っているではないの!ということに気がつきました。なんだ、どしょっぱつから失敗ではないの!と、何か月も経ってから味わうとても残念な敗北感です。

 

  
 

オルタ湖 3

   
   

 オルタ湖滞在のお話も今日でおしまい。(私の旅行のシリーズ物、たいてい3回で終わるみたいです。)

 サクロモンテからモッタ広場まで戻ってきて、身体はガタガタだったがそのまま船でサン・ジュリオ島に向かう。船着き場の正面に見えているのがサン・ジュリオ島。

    
   

 船のお兄さんが声をかけてきたのだけれど、高い船と安い船があるみたい。私が乗ったのはもちろん安い方。(往復3.15ユーロ)
船に乗り込んで目に入ったのが、4、5歳くらいのすごくかわいい女の子。めずらしそうにじーっと私のことを見ている。たぶん私が、初めて目にする平たい顔族だったのだろう。彼女の髪型、左右アシンメトリーのショートヘアで、すごくかっこいい。私も今度美容室であんなふうにしてもらおうと思ったが、おばちゃんがマネしてもぜったいヘンと帰国してから気づく。(それに彼女と違って平たい顔だし。)

 そんなアシンメトリーヘアな自分を妄想していたら、5分くらいであっという間に島に到着。

お天気がね。残念ながら景色は暗い感じだけれど、
   
   

島の船着き場の紅葉は、シックでとても素敵。↓

    
   

 みんな船から降りて、てんでばらばらに散策へと向かいます。

 島に入ってすぐにお土産屋さんがありましたが、お店はここ一軒のみのよう。

   

   
   

 ここは静寂の島とも呼ばれているらしいのだけれど、本当にその名前がぴったりな場所。聞こえてくるのは湖畔に打ち寄せる水の音、鳥のさえずり、風の音や枯葉がこすれ合う音・・・そういったものに、とても癒される。

 道なりに歩いていると、建物の壁に付けられた看板みたいなものがいくつも目に留まり、そのたびに思わず立ち止まる。

   
   

 静寂とは、音楽でありハーモニー。

   
   

 静寂とは、真実であり祈り。


 静かな路地の奥にみつけたマドンニーナ。
   
   


 歩いている道を脇にそれると、湖畔に出れてしまったり・・・
   
   

 とりとめもなく歩いていたら、最初のお土産屋さんに出てしまいました。つまり島を一周してしまったということ。一周といっても、ほんの15分ほどの散策です。

 船着き場に行ってみたら、行きの船と同じ顔ぶれ。(かわいいショートヘアの女の子もいました!うれしい。)
船の方も散策に要する時間に合わせてか、15分おきの発着のようでした。
   
   

 訪れたのが晩秋という季節だったせいでしょう、とてもシックでシブイ、というのが私のオルタの印象でした。どこか華やいだ雰囲気のあるコモ湖マッジョーレ湖とは一味違った湖水地方の旅。交通の便さえなんとかなれば、またいつか足を運んでみたいと思わせる場所でした。

 戻って来たモッタ広場もすっかり日が落ち、
    
  
   

 夕暮れのオルタ湖とサン・ジュリオの姿をふり返って陶然となり、オルタの旅を終えました。